« ホンネとタテマエ?(疑問だらけのインフルエンザワクチン) | メイン | 近況 »

死んだらおしまい?

大島祥明著『死んだらおしまい、ではなかった』[PHP研究所2009]を読みました(パソコンでうまく書けないのですが、大島祥明氏の「祥」の字は、正式には示に羊です)。
著者は浄土宗の僧侶で、2千件以上の葬儀をしたそうです。怪しげなスピリチュアル系とは違います。しかも、この本、生協で売ってました。

読んでみると、私が想像していた「霊」というもののイメージどおりです。
ただ、死んだ直後の「霊」と往生できずにとどまっている「霊」の話ばかりで、往生した後の「死後の世界」というものがあるとすれば、どういう所なのか、この本には何も書いてありません。

セイボム、ムーディー、キューブラー・ロス、立花隆といった人たちが、臨死体験や体外離脱について語り出して有名になりましたが、そうした話が世に知られるようになる前から、私は、似たような話をいくつも聞いていましたから、ああ、やっぱりそうなのかと思っただけで、特に驚きもしませんでした。

私は、霊を見たことはもちろん感じたこともありません。
今まで生きてきて、家族、親戚、友人・知人、恩師、近所の人たちなどを先に送りましたが、それでも霊を見たり感じたりしたことはありません。
死はみんなに訪れるものだとわかってはいても、身近な人を亡くすというのはつらいことで、生きているうちにああすればよかった、こうすればよかったと思うこともあり、幽霊でもいいから会って話をしたい、お詫びしたい、と思ったこともありましたが、誰も出てきてはくれませんでした。
(今は・・・・・、あんまり幽霊には会いたくないですね。)
自分は感じたことはありませんが、人からは、霊を感じたという話はいくつも聞きました。中には疑わしい話もありますが、「霊の働き」としか考えられないような話もあります。

一つ紹介します。
妻がまだ学生だった頃、ある日、突然不思議な感覚になり、「何かが起きた」と思ったそうです。その頃彼女は家を離れて下宿していたので、まず実家に電話をしたけれど特に変わったことはないというし、兄弟に電話しても別になにもないとのこと。変だなあ、と思いながら、なぜあんな感覚になったのかわからずにいたそうですが、それから数日後、サークルのOBが病気で亡くなったという知らせを受けたのだそうです。
亡くなったのがちょうど、不思議な感覚になったその日のその時刻だったというのです。
「気持ちが悪いとかじゃあないんだけど、心に感じるものがあって、間違いなく何かが起きたって思ったの。あんな感覚はそれまでなかった」と、彼女は言います。
亡くなった先輩の家は遠いのですぐには行けず、しばらくしてからサークルの仲間と、お墓参りに行ったそうです。先輩のご両親は、遠くから後輩たちが来てくれて、とても喜んでくださったそうです。
私はその話を聞いて、「霊が旅立つときにお別れの挨拶に来たのではないだろうか」と思いました。

私の想像ですが、霊の世界というのは、つのだじろう氏の『恐怖新聞』に出てくるような恐ろしいものではなくて、いつか帰る故郷のような、そこで温かく迎えてもらえる場所のような、そんな気がするのです。(伊藤)

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。