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田畑の理想

私の畑(家庭菜園)は、不耕起、無農薬、原則は無施肥(作物によっては若干の有機肥料を使用)なので、自然農法に近いです。
稲作のほうも、究極の理想は自然農法ですが、今のところ、耕作し、低農薬でやってます。田んぼは借り物だし、畑と違ってよその田んぼに隣接していますから、よそに迷惑をかけられないという事情もあります。

先日、トラクターで田起こしをしました。浅めにしました。雑誌「現代農業」によると、浅く田起こしをする半不耕起というやり方もあるんだそうです。完全に不耕起栽培にしてしまうと、ふつうの田植え機が使えません。1反くらいなら手植えも可能でしょうが、今後田んぼを広げることを考えると、なかなか稲の不耕起栽培には踏み切れません。
福岡正信さんのもとで学んだ岩澤信夫さんという方が農機具メーカーに働きかけて不耕起栽培用の田植え機を実現していますが、特殊な機械で値段も非常に高く、今のところ、一般的ではありません。
理想は、同志を募り、機械など使わないで手作業でやることでしょう。
祈りもそうですが、理想も必要なものだと思います。たとえ、すぐに実現できなくとも(あるいは自分の一生のうちに実現できなくとも)、理想を持って生きるのとそうでないのとでは、生きる姿勢が違ってくると思います。

田起こしや代掻きを浅くすれば、半不耕起に近くなり、ふつうの田植え機が使えるし、カエルやミミズをあまり殺さずに済みます。まだ2年目で、あまり冒険できませんが、少しでも、いいと思うことを試みてみたいです。

生きていく以上、食べないわけにはいきません。何かを食べるというのは、食べ物(動植物)の命をいただくわけで、自分が直接殺さなくとも誰かが殺してくれています。一切生き物を殺すことと無縁に生きるというのは不可能です。それを承知の上で、できるだけ殺生は減らしたいです。

これまで、そして今も、人間は自分たちの都合でたくさんの命を奪ってきました。食べるためとか、有効に使うためならやむを得ないといえますが、今日も捨てられてゆく多くの食べ残し、浪費される生物由来の材料等、殺す必要があったのかと思えるものも少なくありません。私は、自然との調和の中で、可能な限り生き物を殺さない農業をやっていきたいです。(伊藤)

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