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悔いのない人生をおくりたい

以前、IT長者とされる某氏が「金で買えないものはない。人の心も金で買える」と豪語して話題になったことがありました。そんな言葉が話題になっても正面から反論する人は少なく、この日本では、お金のある側の言い分に反論できないのかと、ちょっと悲しくなりました。
私は、エリザベス・キューブラー・ロスの言葉を引用して次のように書きました。今も、私の気持ちは変わりません。同じことをもう1度ここに書きます。

自分自身の声に耳をかたむけることよりも、人からどう評価されるかを価値基準にし、愛を買おうとするような考えに対し、キューブラ・ロスはこう言います。
「愛を買おうと思って、彼らは一生うろうろ探し回ります。でも、愛は見つからない。真の愛は買えないからです。そういう人たちは死の床で悲しそうに私に言います。「私はいい暮らしをしてきました。でも本当には生きてきませんでした」。私が「本当に生きるってどういうことですか」と聞くと、こう答えるのです。「私は弁護士として(あるいは医者として)成功しました。でもじつは大工になりたかったんです」。」(鈴木晶訳『「死ぬ瞬間」と臨死体験』94頁)
この人がどうすればよかったのか、答えは出ています。大工になればよかったのです。気の毒に、自分の希望より、いい暮らしや人の評価を優先させてしまったのです。
また、こんなことも言っています。
「人生は短いのですから、結局のところは、自分が本当にやりたいことをやったらいいのです。(中略)そんなことをしたら貧乏になるかもしれない、車を手放すことになるかもしれない、狭い家に引っ越さなくてはならないかもしれない。でもその代わり、全身全霊で生きることができるのです。世を去るときが近づいたとき、自分の人生を祝福することができるでしょう。」(同書84頁)
実は、キューブラ・ロスのこうした言葉も、私たちが山里暮らしに向かってゆく背中をおしてくれました。(ジネント山里記 2006.1.30)

私の気持ちは変わりません。
世の富、世の権、世の誉を求める人が多いのですが、いろいろ見てきた私には、そうしたものが虚しく思えるのです。
そんなことより、本当に生きたい、悔いのない人生をおくりたい、「世を去るときが近づいたとき、自分の人生を祝福することができる」、そんな人生をおくりたいと思います。

山里は梅が咲き始めました。もうすぐ桜も咲くでしょう。いい季節が来ます。経済が良かろうが悪かろうが、何の関わりもなくいい季節が来ます。(伊藤)

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