祈ることの意味
神(あるいは仏)が存在するかどうか問われても、私は簡単に答えることはできません。だって問う人が、どのようなものとして神や仏を認識し、定義しているのか、わからないからです。
他国に攻撃をしかけるのを正当化する人たちが信じる「神」など、「信じなさい」と言われても、ごめんこうむりたいです。「信じなければ地獄に行く」と脅されたってごめんです。
でも、もしマザーテレサから「神を信じますか」と問われたら、私は「信じます」と答えたでしょう。
仮に「神も仏も存在しない」と仮定した場合、祈ることに意味はあるのでしょうか。
私は、おおいにある、と思います。
祈るのは、こうあってほしいとか、こうなりたいといった気持ちの表現であったり、人智を超えた存在への感謝や讃美であったりします。世界はこうあってほしい、自分はこうなりたい、自然の恵みはありがたい等々を言葉にすることで、自分の思いがどこにあるのかはっきりします。
そうした一人ひとりの思いが世の中をよりよくするのには何百年かかるかわかりませんけれど、それでも、大海も一滴一滴の集まりであるように、自分は小さくとも、自分の思いをはっきりさせるのは、おおいに意味があると思います。
だから、神(あるいは仏)が存在してもしなくても、祈ることに意味がある、と、私は考えるのです。(伊藤)
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