« 山形のスローフード・塩引き | メイン | オール電化住宅のこと(続き) »

オール電化住宅に思う

先日、オール電化住宅の講習会に行ってきました。山形県内では新築住宅の約6割がオール電化だそうで、私も建築士のはしくれ、はやりのオール電化について話を聞いてきました。

誤解されるといけないのでまず申し上げますが、私のオール電化批判は私自身の商売上の利害とは何の関係もありません。私は一般住宅の設計をほとんどしていないので、オール電化がはやっても、はやらなくても、それで不利益や利益を受けることは何もないです。以下は、商売を抜きにした個人の見解です。

それにしても、世の中こぞって高気密・高断熱・オール電化を礼讃していますね。
これまでもオール電化住宅の宣伝を聞くと、なにか、うさん臭い感じがしていました。今までハウスメーカーがしてきたのと同じ「主婦層をターゲットにしたキャンペーン」に思えたし、既存住宅の「現実に悪い点」とオール電化住宅の「理論上のよい点」の比較という、公正さを欠く比較を使った宣伝もありました。昔、左翼学生たちが、資本主義の「現実に悪い点」と社会主義の「理論上のよい点」を比較して、社会主義の優位性を説いていたのを思い出します。

講習会で、「災害に強いオール電化」とか「人にも地球環境にもやさしいオール電化」とか、講師が大まじめに言うのを聞いていると、なんだか、「カラスは白い」という理屈を聞いているような気分になってきました。
牽強付会(けんきょうふかい=無理なこじつけ)という言葉がありますが、ここまで牽強付会も甚だしくなってくると、聞いてあきれるのを通り越して、立場上そう言わないといけない講師が気の毒に思えるほどでした。

東北電力や研究機関の人の話はまだ慎重に言葉を選んでいるようでしたが、設備機器会社のたぶん営業系の人の話など、まるでオール電化は百パーセント理想の住宅であるかのようです。なんか、医学博士のコメントを某タレントが大げさに膨らまして健康効果を強調した番組みたいですね。

オール電化批判など書き出したら、それこそ膨大な文章になりそうですから、私自身がオール電化住宅に住んでいる人から聞いた話と、特に私が心配していることだけ、簡単に紹介しようと思います。

私の知人がオール電化住宅を建てました。昨年末(2008年末)に竣工し、住んでいます。知人の家族は電気関係の仕事をしており、仕事上の関係で、オール電化以外の選択の余地がなかったのです。私は、その仕事上の立場を知っていますから、特に批判めいたことは言いませんでした。その仕事は建築とは関係ないのですが、会社にはオール電化関連の事業部もあり、部署は違っても、会社がオール電化に関わっている以上、他に選択の余地がなかったのです。まあ、トヨタ系の社員の家族が日産の車を買うわけにはいかないみたいなものですね。たとえ自動車とは関係のないトヨタミシンやトヨタホームの事業部にいたとしても。

先日その知人に会ったので、それとなく聞いてみました。
「新居の住み心地はどう?」
「どの部屋も暖かくていいんだけどね。とにかく空気が乾いて、加湿器じゃ足りなくて、夜は浴室の戸を開けて、浴槽のフタも開けて寝てるよ」(注:山形県の冬は雪が降り、太平洋側のように乾燥しないのが普通です。)
「洗濯物が乾いていいんじゃない」
「そりゃ、そうだけど。ちょっと乾きすぎかな。りんごやみかんを置いておくと、しなびちゃうくらいだよ。それと、台所に食べ物を置いておくと、すぐ腐って困るんだ。真冬なのにね。家の中はどこもあったかいから、どの部屋に置いても同じだよ。食べ終わったらすぐ冷蔵庫に入れないといけないね。それと、漬物がうまく漬からなくなったって家内が言ってる。漬物小屋を別に建てないといけないのかな」
「へえ。そうなの」
「それにね、家族の1人が風邪を引くと、みんな引いちゃうんだよ」

これが「人にも地球環境にもやさしいオール電化」に住んでいる人の感想です。私は何も批判的な話をしていないし、彼は建築には何の先入観もありません。極端な高気密化と全館暖房の当然の結果でしょう。

オール電化住宅について、災害時の不安、IH調理器による電磁波被曝の不安、電力供給のための原子力発電の不安など、すでに多くの方が論じておられるので、ここには繰り返しません。ここでは、文化の問題と資本主義経済上の位置づけについて、みんなあまり言わないことを書いておきます。

前から言っているとおり、開放的な住居はわが国の伝統文化でした。それは、夏期に高温多湿となるわが国の気候風土とも合致していました。オール電化住宅などの最近流行の高気密住宅は、この開放的住居という伝統文化の否定と言えます。
夏でも冬でも戸を閉め切る生活は、近所の人が気軽に声をかけてくれるような暮らしを拒んでいるように思えます。まるで住宅の要塞化です。それぞれの家族が、それぞれ閉鎖された中に暮らすような感じです。
中はどうでしょう。高気密化された中で全館冷暖房です。考えすぎかも知れませんが、家族がそれぞれの部屋で好き勝手なことをして、バラバラになっていく住宅のように思えてしまうのです。
いずれ、オール電化住宅が、住む人の精神状態にどういう影響を与えるのか、答えが出るでしょう。

太古の昔、人類は火を使うことを覚え、最近まで受け継いできました。「最近まで」というのは、もう火を使わないオール電化住宅が新築の6割だからです。住居の文化どころか、火の文化まで否定するのでしょうか。
火を使わない住宅で育った子どもが、火の危険を身につけるチャンスがあるのでしょうか。将来、たき火をしたりキャンプに行ったり、また、災害時に対応したり出来るようになるのでしょうか。
乳幼児期から、いつも快適な人工環境の家で育った子どもが、暑さ・寒さに強い子になるのでしょうか。健康で丈夫な子になるのでしょうか。忍耐力のある子、配慮のある子になるのでしょうか。一つ一つ不安です。
いずれ、精神面と体力面の両方で「オール電化症候群」と呼ばれるような問題が起きてくるのではと危惧しています。

今、世界中で、資本主義が行き詰ってきたような状況です。実は、1980年代から90年代にかけて、先進国とされる国では、日常に必要な物品はほぼ出そろい、一般に普及していたのです。必要な物品は出そろっていましたから、それ以上売れなくなるのは時間の問題でした。ITバブルとされる現象は、行き詰った資本主義の苦しい延命策でしたが、私も含めて、多くの人はそれに気づいていませんでした。投資家たちは、物品が飽和状態になった時代に製造業に投資しても利益が薄いので、バクチ的なマネーゲームに投資しました。そして、それも破綻しました。
高度な大量生産システムにより、いくらでも物を作ることができますが、これ以上何を作り誰に売るのでしょう。日常に必要な物品はほぼ出そろっています。
必要ないものを、さも必要であるかのように見せかけて売るのが、今の資本主義のさらに苦しい延命策のようですが、オール電化住宅はまさに、行き詰った資本主義のあがき、延命策の1つに思えてきます。これ、物が売れなくなった時代の需要の新規開拓ですね。顧客(建築主や消費者)のためではないですね。それが、深夜電力を売り込みたい電力会社の思惑と合致し、さらに、省エネ・低炭酸ガスであるかのように見せかけて環境対策を演じたい国の思惑とも合致した、ということなのでしょう。
電力会社、ハウスメーカー、住宅産業界、設備機器メーカー、家電メーカー、行政まで一緒になって高気密・高断熱の大合唱、大キャンペーンです。資本や力のある彼らにはかないません。被害にあっているのは大工さんや小さな工務店で、これまでのような、ふつうの木造住宅を造るのが難しくなってきました。顧客(建築主)とその家族がもっと被害者なのかもしれませんが、いずれ、答えが出るでしょう。

行き詰ってきた資本主義がますます行き詰っていったとき、産業の最先端で武装した要塞のようなオール電化住宅を維持し、そこで生活し続けることができるのかどうか、私にも予想がつきます。今だって、各種製品は新しいものから先に壊れていくのですから。
電力供給を含む産業が続かなくなったときの修羅場など考えたくないのですが、それも、悲しいことに、予想がついてしまうのです。(伊藤)

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。