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住みやすい過疎地

山里もようやく春めいてきました。
日に日に明るくなる日差しに残雪が輝き、雪のとけたところから、ふきのとうやアサツキが顔を出しています。
この冬は雪が少なくていいなあ、なんて思っていたら、立春を過ぎてからどんどん降ってきて、結局わが家の1階は雪に埋まってしまい、いつもの年と変わらなくなりました。1階が完全に埋まると、地下にいるみたいになって、昼だか夜だかわかりません。最近やっと外の雪も減ってきて、1階にいても光が入るようになり、昼夜の区別がつくようになりました。
こうして書くと、なんだかすごい所に住んでいるみたいですが、毎年のことなので平気になりました。
外に出ると、家の近くをタヌキが歩いていたり、キジがケンカをしていたり、大きなフクロウが飛んで行ったり、リスが走り回っていたりして、山里の暮らしは楽しいです。

さて、
私たちが暮す山形県内陸部の山里は、単なる田舎とか農村とかではなくて、少子高齢・人口減少の立派な(?)過疎地です。(ちなみにこの春から集落の小学生はうちの長男と次男だけになります。うちが引っ越して来なければ小学生がゼロになるところでした。)

「住みにくい場所だから過疎化したんだろう」と思うかもしれませんが、違います。
これまで書いてきたとおり、広々として、自然豊かで、静かで、犯罪はないし、山の恵みは豊富だし、畑の作物はよく育つし、空気はいいし、水はうまいし、地域は相互扶助的だし、実に住みやすい場所です。雪の問題などは慣れてしまえば平気で、街の住みにくさと比べたら、そんなのはめじゃないという感じです。

では、なぜ過疎化したのか?
たぶん、「産業の担い手として生きるには不便」だからでしょう。
今の日本で収入を得て暮らすには、ほとんどの場合、産業の担い手になるしかありません。それ以外の方法で暮らす道が限られてしまっているからです。山里が過疎化したのは、住みにくいからではなく、産業の担い手となるため若い世代が街に出るしかなかった、ということなのでしょう。

日本の産業は急速に進みました。そして、その負の面も見えてきました。最近は、産業の発達によるメリットがだんだん少なくなってきて、やたら負の面が目につきます。
産業も、もともとは、人のためのものだったはずなのに、いつの間にか産業それ自体が目的となり、人間の側が産業に従属するような社会になってきました。そうした状況で、労働の意義を見失い、疎外されていく人が少なからずいますし、精神や身体を病む人もいます。しかも、辛抱して働いても、産業の未来自体が怪しくなってきました。

もし、はじめから産業の担い手になることを目ざさずに過疎地に住めばどうでしょう。それなりの覚悟は必要でしょうが、実に住みやすいと思います。
今のところ、たしかに道は限られます。万人向きではないでしょう。しかし、不可能ではありません。
収入が低くとも、都市部と違い、それなりの暮らしはでします。低所得は覚悟の上で、産業文明の便利さを追求しない、山と共に土と共に暮らす、そういう生き方を目ざすなら、過疎地は実に恵まれた土地であり、このうえもなく快適な場所だと言えるでしょう。(伊藤)

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