子どもの遊び
うちの長男を連れて「昔の遊び」に行ってきました。地域の公民館主催の行事ですが、小学生が50人弱(全校児童の半数くらい)来てました。
オープンカーのジープで会場に行ったら、子どもたち、「かっこいいー」って寄ってきました。
今の子どもたちは、元気はいいのですが、メンコもヨーヨーも知らないんですね。コマくらいは知っていても、うまく回せる子は少ないです。メンコ(当地ではパッタと言います)を見せると、「それなあに?」と寄ってきますが、渡してあげても、私が子どもの頃のような熱っぽい遊びになりません。まあ、駄菓子屋から買ったメンコで真剣勝負した私の子ども時代とは、条件も違いますけれど・・・・・。
田舎も少子化で、しかも電子機器のゲームが広がっています。せっかく自然環境に恵まれているのに、もったいないなあと、私は思ってしまいます。
子ども社会が失われています。遊びも文化なのに、文化としての伝承が途切れてきました。「遊んでないで勉強しなさい」なんて、私が子どもの頃は言われ続けてきましたが、これからは「勉強なんかいつでも出来るんだから、遊べるときに遊びなさい」と言わないといけないんでしょうか。
妻が学生だった1980年代の末ごろ、幼児教育や保育論のゼミで「そもそも大人が子どもに対して「子どもの遊び」を指導していいんだろうか、大人が教えたら「子どもの遊び」じゃなくなってしまうんじゃないか」という議論があったそうですが、それから20年、もう議論の余地もないというのが私の実感です。今は地方の子どもたちの間でさえ、非電化の遊びは消滅寸前です。大人が伝えなければ、たぶん、子どもの遊び文化は絶滅することでしょう。
現実の体験が減り、電子機器のゲームやパソコンの仮想現実が広がっています。実体験より仮想体験が先行していくのは、いかがなものでしょうか。親や友達とトランプや将棋をするより先にゲーム機で遊ぶことを覚え、現実の体験よりパソコンの画面上での体験が先行するようなことが続くと、人の精神の発達にどう影響するのでしょう? 常識的に考えて、いい方には影響しないだろうと思います。
この山里は自然環境に恵まれ、人にも恵まれていますが、「子ども社会」まではつくってやれません。
地域の公民館が昔の遊びを子どもたちに伝える活動をしておられるので、私もボランティアで協力しました。
昔に逆戻りできないのは承知しています。子どもがメンコやビー玉を買おうと思っても、地域には駄菓子屋もないし、いろいろ教えてくれたお店のおじちゃんやおばちゃんみたいな人たちも、もう、いません。
でも、せめて、昔の遊びに少しでも触れることで、何か今後につなげるきっかけになってくれればいいと思います。(伊藤)
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