「自然保護」
夜中、大雨の音で目を覚ましました。明け方、午前4時頃だと思いますが、雨はやんでおり、今度はヒグラシの鳴き声で目を覚ましました。ヒグラシというと、夏の夕暮れに松林などでカナカナカナと悲しげに鳴くイメージがありますが、明け方から早朝にかけても鳴きます。それに、けっこう大声です。
山里の古民家に暮していると、自然の中のさまざまな音が直接的に伝わってきます。でもそれは、人工的な音と違って不快なものではありません。
雨も風も雷も、鳥や虫の声も、みんな聞こえてくる暮らしは、かえって好ましく感じられます。
さて、
「自然保護」という言葉がありますが、「保護」というのは、強い側が弱い側を保護するわけで、自然を保護するという言い方に、私はためらいを感じます。「おまわりさんが、迷子の小学生を保護した」というような使い方ならわかります。おまわりさんは強い立場で、迷子の小学生は弱い立場ですから。でも、自然と人間を比べた場合、自然より人間の方が強い立場なのでしょうか。
「自然と人間との共生」とも言われます。私もこれまで、深く考えずにそういう言葉を使ったこともあったかも知れません。でも、これだって、「自然」と「人間」を同列に並べています。「A民族とB民族との共生」と言うなら、どっちも人間ですから並べるのもわかりますが、自然と人間を同列に並べて「共生」なんて言っていいんだろうかと、最近思うようになったのです。
「自然界のさまざまな存在の1つ1つと、人間との共生」と言うならまだわかります。結局のところ、人間も自然界のさまざまな存在の中の一員なのですから。
最近になって、アイヌ民族の文化について多少知るようになり、私は認識を改めました。アイヌの人たちは、自然との共生というより、自ら自然界の一部として生きてきました。かつて、アイヌの食の基本は狩猟採集で、しかも獲りすぎることをしませんでしたから、減ることも、環境破壊もなく、人間も自然界の一部として、未来にわたり持続する暮らしをしていました。明治時代に日本の東北や北海道を旅したイザベラ・バード女史は、『日本奥地紀行』(平凡社)の中で、伝統的な暮らしの中に生きてきたアイヌ民族を「紳士的」と評しています。
近代の日本は、こうした人たちを遅れているとみなし、「保護」すべき対象と考えました。実際は保護と称して収奪を重ね、また、独自の文化を消し去って同化させようとしたのですけれど。
日本は欧米に倣って「近代化」の道を進みましたが、産業によって支えられる近代文明というものは、どうも、長期的には、人類全体の生存を危うくしかねない道だったようです。
以前も何度か書きましたが、産業文明の「進歩」は止まりません。目先の便利さや快適さを追求し、未来に向かって重大なツケをまわすのがわかっていても、もう、止まりません。
循環の環を断ち切り、やがて自分たちも生きていけなくなる道を進むのが「進歩」で、自然の中の一員として未来に向かって永く持続する生き方を「遅れている」と見なしたのは、誤りでした。
いつかは、原料資源や、エネルギー資源や、廃棄物の捨て場などが不足して困るようになり、水や大気が人類の生存を脅かすくらい汚染されていくのでしょうが、残念ながら、これまでの歴史が示すとおり、「大多数の人がよっぽどひどい目にあわない限り、ブレーキはかからないし、変わらない」のでしょう。多少ひどい目にあっても、「代替わりすると貴重な教訓を忘れてしまう」というのも歴史の教訓です。
今後、人間も自然界のさまざまな存在の中の一員であるという自覚を持ち、少なくとも、自然の大きな調和をできるだけ乱さない方向に、特に先進国側の人間の生き方を切り替えていかない限り、人類の種の存続自体が危うくなる日が来ることでしょう。これはもう、「自然保護」という概念を超えていると思います。(伊藤)
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