伝統民家のこと
最近、多くの人たちの努力もあって、日本の伝統的な民家が再評価されているようです。それは嬉しいことですが、どちらかというと、評価してくれるのは都会の人たちで、田舎の民家が失われていく流れは止まりません。
私たちが山里に引っ越して1年と少しですが、その間にさえ、付近の集落で立派な茅葺民家がいくつか消えました。事前に聞いていれば、再生や移築などの方法もあるとお話しすることもできたかもしれないのですが、同じ自治体の中といってもよその集落ですから、私は、とり壊しの予定のことを何も知らぬまま、ある日、突然消えていました。
私の住む地区からさらに山間部に登った高台の上に、江戸時代に建てられたというみごとな茅葺の曲り家がありました。ありましたと、過去形で書かないといけないのが残念です。昨年、これが突然消え、現代的な新築住宅にかわっていました。住んでいる人には今現在の生活があるわけで、建て替えを責めることもできませんが、あの家は山の風景とみごとに調和していて、通るたび心が和むような光景でしたから、なくなってみると寂しいです。
古民家を壊す人も、求める人もいて、そのへんがうまく合致してくれるといいんですけれど・・・・・。
今も残る伝統民家のほとんどは、長く放置されて荒れているか、今も(あるいは最近まで)人が住んでいて現代風にアレンジされているか、どちらかです。
文化財などの特別な場合は別として、ふつう、オリジナルに近い良好な伝統民家はほとんど残っていません。古い時代のタイムカプセルのような民家が残っていても、長く空家で傷みもひどく荒れ放題というのがほとんどです。今も使われている(あるいは最近まで使われていた)民家であれば、柱や梁に鮮やかなニスやペンキが塗られていたり、内部のしっくい壁の上にビニールクロスが貼られたり、板壁の上にプリント合板が張られていたり、縁側も合板床やビニール張りの床に替えられていたりしています。外壁の上に角波トタン板を張った民家もよく見かけますが、それはまだいいほうで、リシン吹き付けや合成樹脂の吹き付け、サイディング張りも見られます。
住んでいる人にしてみれば、自分たちのふだんの生活のための補修ですし、、一般の工務店や大工さんだって、民俗文化を守るために仕事をしているわけではありませんから、家の補修を頼まれればそうした「改装」になるのでしょう。古びていること、すすけていることが良くない、新しい物が良いという価値観もあるようです。
失われてゆくのは民家だけではなく、民家と共にあった相互扶助的な生活様式そのものが失われてきていますから、そうした中で、建物だけ残してどうなるのか、という意見もあります。日本の良き伝統も残していければよいのですが、私は、せめて建物だけでも残してほしいと思うのです。失われゆくものへの憧れと言われそうですけれど、それだけでなく、実際に伝統民家は機能的で、しかも落ち着きがあり、居心地もいいのです。安らげる場なんです。天然素材そのものですし、昔の職人がていねいに造っています。壊してしまうのは、もったいないのです。
民家を民家らしく再生するとなると、放置されて荒れ果てた家を補修するか、それまでの「改装」に使われた新建材をはずしてもとの素材の美しさを取り戻すか、少なくとも、そのどちらかを(場合によっては両方とも)することになります。
今、私たちが住んでいる山里の自宅も古民家です。仲介してくれた業者によると、買い手がつかない状態で、もし私たちが買わなければ、たぶん大雪でつぶれる運命だったでしょう。民家を1件、なんとか救いました。何件も購入したり維持したりする余裕はありませんから、私と妻とで1件守るのがせいいっぱいでした。自分たちで手入れをしていますが、傷みの補修と新建材撤去の両方をしており、やることが多いです。それもお金をかけずに主にセルフビルドでやっていますから、気の長い作業です。
伝統民家それ自体、気の長いものですから、私も気長にやっていこうと思います。
そのうち子どもたちも成長していくでしょう。じねんと、じねんと。(伊藤)
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