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道具を使うということ

冬の日照を確保したくて、家の周りの杉の木を、考えながら伐っています。
どれを伐り、どれを残すか考え、木を伐る作業も自分でやってます。
チェーンソーは危険もありますが、使えば便利な道具です。
自戒をこめて思うのですが、効率的な道具を使うときほど、「これは道具の能力であり、自分の能力ではない」と自覚して使わないと、まるで自分にすごい能力があるかのように錯覚し、人を驕り高ぶらせてしまう恐れがあるようです。

実は、先日、木を倒そうとして、チェーンソーをはさんでしまいました。太い木を伐るときは慎重に作業するのに、その木は比較的細かったし、チェーンソーはパワーがあるし、最近は使うのにも慣れてきていて、気のゆるみがあったようです。
倒そうとした木が、ほかの木の枝に引っかかって、切り口にチェーンソーをはさんだまま動かなくなってしまいました。どっちにも動かないので、ひとまずエンジンを止め、さてどうしたものかと考えました。
鉄の棒でテコをかけても動かず、鉄のクサビを打ち込んでも動かず、あんまり無理してチェーンソーを壊しても困るし、近くに電話線もあるので、木がそっちに倒れても困るし、自分の方に倒れてきたらもっと困るし、焦りました。
結局、手動のウインチを借りてきて、ワイヤーロープで引っ張って木を倒し、やっとはずしました。
チェーンソーを壊してしまったかもしれないと覚悟したのですが、見たところ変形もなく、念のため中も点検しましたが、無傷でした。エンジンをかけたら、何の問題もなく動き出しました。
長期使用を考えて、身分不相応かもしれないと思いつつもプロ用のチェーンソーを使っているのですが、その頑丈さに驚きました。こんなすごい道具を使う以上、慎重の上にも慎重にならないといけなかったのです。

道具の能力は自分の能力ではありません。
進化してきた道具が、人を錯覚させてしまうことがあります。
道具を使うには、それにふさわしい技能や慎重さが求められるのだと、思い知らされました。

[補足]
日ごろ、産業文明を批判する私が、産業が作り出したチェーンソーやガソリンを使うのは矛盾なんですが、現在のところやむを得えないと思い、なるべく無駄や環境への害が少なくてすむよう気をつけながら、産業文明の利器も使っています。もし、石油系の製品がまったく手に入らない時代が来たら、そのときは大勢の力で、手作業で木を伐るしかないでしょう。地域の人たちが共に汗を流して協力しあう関係や、地球全体の人類と環境の長期的未来のためには、本当は、そのほうが良いのです。
(伊藤)

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