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じねんと,じねんと。

「伊藤さんは、持続しない未来を予想してるのに、どうしてそんなにのん気でいられるの?」と聞かれることがありますが、のん気というより、じたばたあがいてもしかたないから、焦らずにいこうと思っているのです。
明日のことを思いわずらったって、寿命を1尺加えることもできないのですから、悩み続けて暮らすより笑って暮した方が得です。
お金のある人なら、今のうちに金塊を買っておくとか、お金をドルやユーロに替えて海外の銀行に貯金しておくとか、何か対策もあるのかもしれませんが、わが家はたいしてお金もないし、そもそもそういう延命措置みたいなやり方もしたくないんで、あまりお金のかからない山里でつつましく暮らしています。
たとえ日本沈没の日に備えて延命策を講じたところで、世界の産業文明それ自体が没落の方向に向かっているように見えますから、やはりみんながタイタニック号の乗員・乗客に思えてきます。

地方はひどい不景気ですが、こういう中におりますと、虚業で稼ぐため虚学を学ぶより、田畑や山林の手入れでも学んだほうがためになるのではないかと思えてきました。私の世代も、上の世代も、ものすごいエネルギーやお金を使って、産業立国だの国際分業だの、世の中は厳しい競争社会だの何だのと言って、未来に向かって持続しないことをしてきました。この、持続不能の産業システムは、さらに持続しない方向に加速しながら今も続いています。

考えてみれば、産業文明は長い人類史の中の特殊ケースであり、そもそもこの特殊ケースが長期的に持続する保証はどこにもなかったのです。原料やエネルギー源になる資源にしても、物品の製造や販売にしても、産業社会を前提にした各種サービスの提供にしても、それが無限に続くはずがないのは明らかなのに、ずっと続くような気がしていたのは、集団的な錯覚というか、幻想だったのです。
少し前までは、資源の枯渇と言われても遠い未来のイメージでした。いつかそういう日が来ても、その前に代替の資源が開発されるだろうと漠然と思っていました。ところが、資源の浪費や環境破壊のスピードが速く、とうとう廃棄物の処理にさえ困るようになってきました。石油資源がなくなるより先に、石油を使うことによって発生する廃棄物の捨て場がなくなるという指摘がありますが、その通りだと思います。
先人が大切にしてきた里山が、産廃の捨て場にされ、ゴミを満載したダンプカーが走って行くのを見るのは心苦しいです。いったい、今の時代を維持するため、どれほど先まで負の遺産を残すのでしょうか。

歴史を考えれば、原始時代(未開の時代)は長く続きました。文明の発達といっても、手作業や手動式の道具しかなかった時代であれば、長期持続型の社会でした。機械の発達による産業文明の社会は、人類の歴史全体の中ではごく最近のことに過ぎませんが、どう考えても持続しない方向に走り出し、しかもそれが加速して、止められなくなってしまいました。
持続可能な未来を目ざすのであれば、自給的な自然農法や小規模の手工業から学ぶべきだったのでしょうが、先進国とされている国々は、長期的には持続できない「近代化」の道を選びました。そうした国々は、世界の大国として強い力を振るうようになり、今も力を振るっています。大国の力の前に、道理が引っ込んでしまい、まるで「未来少年コナン」に出てくるインダストリアとハイハーバーを見るようです。

産業文明への危機感からか、近年、日本でも、ガンジーの思想が注目されるようになり、『ガンジー自立の思想』(M.K.ガンジー著、田畑健編、片山佳代子訳[地湧社])といった本も出ています。
ガンジーの思想というと、非暴力不服従でインド独立を指導したという印象が強いのですが、それはガンジーの一面に過ぎません(それだけでもすごいのですが)。
ガンジーは、機械文明を批判し、手作業による人間性の回復を説いた思想家でもありました。実は、私もこの本で初めて知りました。
本の帯にこう書いてあります。
「手紡ぎ車(チャルカ)を自治・自立の象徴としたガンジーは、近代機械文明の正体を見抜き、真の豊かさは自然と人間の共生にあることを知っていた。」
ガンジーによれば、機械文明は人間のエゴが拡大したものなのだそうです。インドはイギリスに負けたというより、イギリスが持ち込んだ機械文明に負けたのだそうです。確かに、機械が発達するほど人が幸せになるとは思えません。それどころか、機械の力で「便利」になる中で、人と人とがどんどん切り離されていくことに私も気づいていました。ガンジーは百年も前に気づいていたのに、その後さらに猛烈に産業化が進み、だんだん行き詰まりも見えてきて、やっと一部の人たちは百年前の彼の指摘の正しさに気づき始めました。

資本主義は、ひたすら産業化の道を進み、持続不能の、過剰な産業化を進めているのに、誰も止められません。
一方、社会主義は、言論封殺、思想統制の道を進み、権力が集中して腐敗しても、誰も止められません。

私が頭に描くユートピアは、多くの人が半農半漁、半農半林業、半農半手工業、その他の「半農半なんとか」になって、自給的な暮らしをすることです。まあ、これは私の頭の中の夢物語の話ですけれど・・・・・。
私自身、今の現実にある程度妥協しながら生きている一介の建築屋に過ぎないのですから。

電気や水道、自動車といった文明の利器を、わが家も使っています。ただし、だいぶ節約したり、効率的に使ったりできるようになりました。
この夏、山里では、エアコンはもちろん扇風機もいりませんでした。
山里で暮すようになってから、電化せずに済むものはなるべく非電化でいくことにしました。そうやって生活を見直すと、これまで電気でなくともできることにずいぶん電気を使っていたと気づきました。電化製品を減らすことで電気代が安くなり、生活がシンプルになっていっそう居心地が良くなってきました。
トイレは汲み取り式なので、水道の使用量が減り、水道代も安くなりました。しかも、ここは近くの山の水が水源の水道なので、水道なのに夏は冷たくおいしい水です。水がおいしいので、お茶もおいしいし、同じお米でもご飯がおいしくなりました。ミネラルウォーターを買う必要もなければ浄水器もいりません。水が違うだけでも、ずいぶん豊かに感じます。水道は一例ですが、ものごとは、複雑にするほど、大規模にするほど悪くなるようです。
山里にいるので自動車が必需品で、これは仕方がないのすが、田舎道は渋滞しませんから、渋滞という非効率の中でエンジンを回し続けることはなくなりました。

最近は野菜や果物を買わなくなりました。我が家の菜園の収穫と近所の農家からのいただきもので間に合っています。お米も近所の農家から玄米かモミのままでまとめて買おうと思っていますし、だんだんに田んぼの手伝いなどもできるようになりたいと思っています。これでニワトリでも飼えば自給率はさらに上がるのでしょうが、すぐにというわけにはいかないので、だんだんにやっていきたい目標です。

地方都市に住んでいた頃、おもしろくない仕事で現金を稼ぎ、出所のわからない食料をスーパーから購入する暮らしに嫌気がさしていました。おもしろくない仕事というのは私の身勝手ではなくて、意義を感じない仕事のことです。それでも収入のために、何の意義も感じない、つじつま合わせのような仕事もしました。それでお金を得ても、虚しさだけがつのりました。
今も、おもしろくない仕事から抜けきってはいませんが、自然の中で生きることの充実感を知りましたから、現金収入のためにはある程度いやな仕事もやむを得ないと割り切ることができるようになりました。

ここにいると、自然の恵みを肌で感じます。
自分たちの食料となる作物の生長も間近で見ることができますし、自分たちがこの大地とつながっているのを感じます。
日本の未来も産業文明の未来も、明るさを感じませんけれど、それでも不安にならずにいられるのは、わが家と大地とがつながっている安心感があるからかも知れません。

覚悟さえあれば、田舎に生まれた人でなくとも田舎暮らしはできます。普通の田舎は住民の一般公募などしていませんが、求めていればチャンスはあります。現金収入の道が限られることへのある程度の勇気と、少しの資金と、ご近所と仲の良い関係をつくることで、素敵な田舎暮らしが始まります。
(例えば、佐藤彰啓著『田舎暮らし虎の巻』[文化出版局]など、参考になります。)

未来を期待できない時代になってしまいましたが、私たち夫婦は長期的なスローライフを目ざして、少しずつやっていくつもりです。
じねんと。じねんと。(伊藤)

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