開発の限界、そして・・・・
山里暮らしを始めて、あきれられたり、うらやましがられたりしておりますが、私たちにはたいしてお金もないですし、ここでの暮らしは質素そのものです。お金持ちのセカンドライフや週末住宅とはわけが違います。
どういう考えで山里暮らしを始めたのかは、このサイトを始めた最初の日に書いたとおりで、掲載した転居のご挨拶は、伊藤一家の山里暮らしの宣言文のようなものでした。下の方にスクロールしていただくとまだ読めますが、あの挨拶の文章は、妻と2人で日ごろ話していた内容を私がまとめたもので、2人の共通の考えです。書いたとおり、「山間部での暮らしは万人向きではない」のですが、静かな山里での時代遅れの生活は、自然環境はもちろん、近所づきあいや、広い菜園や、子どもの遊び場や、いろいろな面で住み心地は抜群です。「万人向きではない」理由の一つは現金収入の道が限られることですが、それでもよいと考え、都会から移住してきた人も近くに住んでいます。それは何に重きを置くか、何に価値を感じるかという、生き方の方向性の問題だろうと思います。
申し訳ないのですが、今回書く話は楽しい内容ではありません(しかも、長い)。
地方に住む人の収入に関して言えば、現在、地方の土木や建築業界はもとより、さまざまな分野で、景気は最悪です。思うに、小泉政権以前は、公共工事が地方の経済を活性化させていた面がありました。小泉政権になってからの公共事業引締め政策により無駄な公共事業を減らしたのはいいのですが、地方は逼迫してしきました。締めるだけ締めて、余剰人員対策がほとんどないのです。本当は、荒れた農地や森林の手入れに人員が向けられればいいのに、と、私は個人的に思っておりますが、世の中そうは動きません。
地方はこれまでいろいろな公共物をつくってきました。必要にせまられてというより、経済を動かすためにつくってきたような面がありました。しかし、もう新たにつくるどころか、今までつくったものを維持するのにもお金がかかってあえいでいます。みんな困っているので民間の需要も伸びません。民間主導による景気回復というのは、大企業の拠点がある都市部ならともかく、地方には当てはまらないようです。大企業にしても、多くの分野で国内需要は頭打ちですから、リストラと海外需要からの稼ぎによる景気回復といったところでしょうか。死ぬほど働く正社員・正職員となって安定した収入を得るか、不安定な臨時雇いとなるか、組織で働く人たちが二分化されています。普通に働き、普通に生活し、普通に子育てするといったことが難しい、そんな世の中がやってきました。
地方でも都会でも、仕事がなくて困っている人がたくさんいる一方で、仕事のやり過ぎで疲労困憊している人もいます。これまでやってきたことが、いろいろな面からいろいろな形で行き詰ってきました。ひたすら開発を続けることで経済を動かし続けることは、もう限界に達しているように思えます。
建築仲間の話題にさえ「Xデー」の話が出ます。いずれ「Xデー」がきて、財務省の輪転機がフル回転し、十万円札や百万円札をどんどん印刷して、国の赤字を全部返済するんじゃないかという話です。新円切り替えや預金封鎖とセットでやるんじゃないかとか、大増税の方が先に来るだろうとか、いろんなことを言う人がいます。そんなことをすれば大インフレが起きて暴動になるだろうと言う人もいれば、現代の日本人は個々に切り離されているから、混乱は起きても広範囲の連帯はないだろうと言う人もいます。
みんなタイタニック号に乗っているのに、「一等船室にいる人は勝ち組で、三等船室にいる人は負け組だ」などと考えてもしかたありません。いつ誰がどっちに転ぶかわからないバクチみたいな世の中で、みんな先が見えない中に暮らしています。そんな中で、一等船室入りをめざし、他者を出し抜くため必死で戦うことにどれほどの意味があるのでしょう。
すぐには「沈没」の日は来ないにしても、どう考えても持続しない社会というのは、いつか来る沈没に向かって進んでいく船のように思えます。
日本は厳しい競争社会だと言われますが、「厳しい競争」と「社会」(共同体)が両立するはずもなく、厳しい競争の繰り返しの中で、だんだん社会が蝕まれてきたように思えます。もうすでに、地域社会が崩れてきました。かつて地域と共にあった小さな商店や地元企業が運営困難になってきて、地域住民を獲物にする企業が県外から進出してきました。地域のコミュニティーが崩れてきているので、獲物はよくかかります。それでも競争も地域社会の崩壊もとまりません。私は、伝統的な日本の民家が失われていくのを惜しんでいる人間ですが、「失われていくのは民家だけではない」のです。民家と共にあった相互扶助的な地域社会が崩れてきているのです。
私の少年期・青年期は、経済成長が続く時代でしたから、努力して勝ち抜いていくことが最高の価値であるかのような雰囲気がありました。しかし、現実は、たとえ競争に勝っても、その先に次の競争があるだけです。そのまた先は、また次の競争です。人は競争するために生まれてきて競争するために生きるのか、と言いたくなるのが現実です。
競争に勝てば幸せになれると思い、ひたすら競争を繰り返しても、勝者も敗者も幸せになれず、年間3万人も自殺するのがこの国の現状です。これが戦後日本の進歩の結果でしょうか。
そうした現状をふまえ、我が家は山里で、スローライフを目指すことにしました。
ここにはまだ、地域社会が残っています。「お互い様だから」と助け合い、譲り合う気持が残っています。近隣とのかかわりや、自然に囲まれた中に身を置くことで、心も体も癒やされていくのもわかります。
既成の価値観の束縛の中で生きても一生、自分たちで成すべきことを選び取っても一生です。
ラテン語でモルタルという言葉がありますが、人間を含めてすべての命あるものはまさにモルタル(死すべき運命に定められた者)であり、生まれたその日から死に向かって歩んでいると言えます。そう思うと吹っ切れて、じたばたあがいても仕方がない、人としてこの世に生を受けた以上、人は本来こうあるべきだという理想に少しでも近づきたいと思うようになりました。そう言うとかっこいいのですが、ようするに、やってみたいことをやってみようという気になったのです。
考えようによっては、閉塞感が漂う中にいるから、考える機会に恵まれ、目覚めた、とも言えます。もし地方の経済が順調であり続けていたら、ひたすら開発を続けていくことの限界だの、人生の意味だの、いちいち考えずに突っ走っていたかもしれません。そして、たぶん、山里の古民家に暮すこともなかったでしょう。
みんな果てしない競争の繰り返しに疲れてきました。歴史の中に埋もれていた金子みすゞが再評価され、「みんなちがって、みんないい」と言われる時代です。人気歌手が「ナンバーワンよりオンリーワン」と歌い、テレビが「開墾記」を放送する時代です。長男が、「自分らしく生きていけたら最高にいい」という意味の歌を歌っていました。今は小学校でもそんな歌を教える時代なんです。
おそらく、今後、大変動が来るでしょう。
何から先に破綻していくのか、その順番はわかりませんし、それがいつとも言えませんが、たぶん、破綻の連鎖の続く大変動となる可能性はかなり高いのではないかと思います。
「伊藤さん、何でそんなに未来を悲観するの?」と言われたこともありますが、私は別に悲観などしておりません。冷静に、今の日本や世界の状況を考えたら、大変動が来るだろうとしか言いようがないのでそう言っているだけです。むしろ、大変動は新生の夜明けと考えているくらいです。
日本の明治維新にしてもアジア太平洋戦争の敗北にしても大変動でしたが、新生日本の夜明けの時でもありました。多くの犠牲の上に、硬直化した旧体制が崩壊し、混乱はあっても、旧い秩序の束縛から解き放たれて、いろいろな人たちがいろいろな理想を掲げた時代であり、実際、多様な可能性・選択肢のあった時代でした。
明治政府が選んだのは、帝国憲法と教育勅語を柱とした軍事国家の道で、敗戦後の日本が選んだのは非軍事的な経済立国の道でした。その是非はこれまで検討されてきたし、今後も検討されていくでしょう。
敗戦から立ち上がった人たちの希望は遠い話になりました。今現在の日本は、きゅうくつで、閉塞感の漂う国となり、未来像が見えません。何を目ざし、どこに進もうとしているのか、見えてきません。戦後の日本の拠り所だった経済は、地方では行き詰ってきているし、都市部でも景気がいいのは一部だけ、わが国の非軍事も怪しくなっています。
私が生きているうちに大変動を見るのかどうか・・・・・。私自身、大変動の中でどうなるのか、その後の世界を見て何かやれるのか、それとも、そもそも予想に反して大変動などずっと来ないのか・・・・・、わかりません。
わかりませんけれど、願わくは、第一次大戦後のドイツのように、模範的なワイマール憲法を持ちながら、合法的な選挙でヒトラーが選ばれたような事態になってほしくない、インフレと失業の時代の中で、威勢のいい指導者のかけ声について行く大衆の熱気に、思慮深い声がかき消されてしまうような、そんな日本になってほしくない、と思っております。(伊藤)
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