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幼年時代と今と

仕事で街中に来ると暑いです。暑いなら暑いで我慢もしますが、建物に入るとガンガン冷えていて寒くなり、外に出れば建物に入る前より暑くなって気分が悪くなりそうです。室内を冷やせば排熱で街は暑くなり、暑いからますます室内を冷やすという悪循環も、産業発展の結果でしょうか。

私の話はいつも産業文明批判みたいな方向に行ってしまうのですが、蚊帳の話を書いたついでに、幼年時代と今とを比べて思うことを書いてみたいと思います。

私は東京オリンピックの年に山形県内陸部の小さな町に生まれました。
産婆さんを呼んでの自宅出産で、当時の田舎町では珍しくなかったそうです。生まれたその日に産婆さんに抱かれている写真が残っています。父がジャバラのカメラで撮影してくれたものです。
私が生まれた家は、昭和初期に建てられた民家で、囲炉裏があり、井戸があり、お風呂は薪を使っていました。家の周りの道路は舗装されておらず、車もあまり通らないので、まわりはみな子どもたちの遊び場でした。田畑と緑に囲まれ、水辺があり、茅葺の家もたくさん残っていて、夕方になると家々から煙が立ちのぼる、そんな風景でした。
でも、小学校に上がった頃から、まわりは激変してゆきました。今思えば、ちょうどその頃に高度成長による日本社会の大きな変化が東北の農村にも及んできていたのでした。
我が家に電気冷蔵庫や電話や自家用車が入ったのもその前後だった思います。気がつけば、のどかな風景は失われ、田舎の町も急速に産業化されていきました。
私の生家は1970年代に取り壊され、そのあとに、外材と新建材を多用した「近代的な」家が建ちました。70年代後半になると、今とそれほど変わらない生活になってきました。まだパソコンや携帯電話がなくて、機械類や家電製品が今ほどオート化・電子化されていなかったという違いはありますが・・・・・。
その後の変化は周知の通りで、外面はそれほど変わらなくても中身が電子制御化された物品も多く、物は増えましたが物の寿命は短くなりました。「便利」とされる物品はメーカーの供給に依存し、メーカーが言う使用法に従うだけで使う側が工夫する余地があまりなくなってきました。ようするに産業社会が完成品を供給し(「完成」といってもめまぐるしく変化し寿命も短いのですが)、完成品が供給されるので使用者側の裁量の幅が狭まってきた、ということなのです。「便利」な物品が増え、工夫が減り、貸し借りや助け合いも減りました。物品が増えて「便利」になるほど工夫する楽しみも人と人とのつながりも希薄になるようです。それに、物を大切にしなくなりました。増えるのはゴミばかりで、処分場にも困る時代ですが、安さを競い合い、目新しさを演出し、次々に販売する流れは止まりません。そしてまた、近隣のちょっとした助けもない中で、物品を購入し続け、各種の有料サービスを受け続けて生活してゆくために、お金を稼がないといけない、もっと働かないといけないということになり、人はますます追いつめられていきます。
街の中で、人工的なものに囲まれ、人は互いにかかわり合いを持たないことが礼儀であるかのようにふるまい、店の店員もマニュアル通りの対応しかしない、そんな時代になりました。仕事で街中に来ると、街の雰囲気に疲れてしまいます。
前にも書きましたが、日本の少子化にしても、産業化が生活の隅々に及んで人を支配するようになった時代の当然の結果だと思います。便利になったはずなのに、イライラが蔓延した社会になりました。
地方都市でも、最近の住宅はずいぶん要塞化してきた感じです。職場、学校、保育園なども要塞化し、さまざまな防犯システムが導入されるようになりました。「家を一歩出たらまわりは敵だらけ」で、交通事故、不審者、さまざまな事故や犯罪の危険に満ち満ちており、学校や保育園はフェンスをめぐらし鉄扉を閉め、子どもの通園通学の安全確保に親は神経をすり減らします。家にいても、教材勧誘の電話だのダイレクトメールだの訪問勧誘だの、どんどん来て、気持が休まる時がありません。年々、育児は大変になり、親は疲れてイライラし、それを受け止めてくれる近所づきあいも自然もなく、子どもは遊ぶ場所もないので家の中で大騒ぎし、親は子どもに当り散らすといったことが起きてきます。(以前、私もそれに近いことを経験しました。子どもには申し訳ないことをしたと思います。前に住んでいたのは、駅やスーパーに近くて「便利」な場所にある一戸建ての「近代的」な住宅でした。今思うと、仕事以外でも疲れ果てる原因が多すぎました。)

今、私たちは山里に暮らしており、ここでの暮らしの中で癒されておりますが、仙人ではありませんから、それなりに社会にかかわって生きています。世の中に漂うイライラに直面することも多く、社会のあり方、人の生き方について、いろいろ考えてしまいます。(伊藤)

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