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山里の古民家暮らしは数値化できない

山里の古民家暮らしは数値化できない、ということに気づきました。
山里はあたたかい、暮しやすいと本当に思います。
田舎には集落の相互扶助がいろいろありますが、当地のような雪の多い地域は、お互いの助け合い・譲り合いの気持が強いようです。みんな苦労しているからかも知れませんが、いろいろな場面で他者への配慮を感じます。そういったものを「しがらみ」と感じる人もいるかもしれませんが、私の場合は、自分もその中の一員になってゆく中で、気持が楽になるのを感じました。
先日もつれあいがご近所から野菜や漬物をいただいてきて、今日もおいしく食べてます。ご近所から教わることも多いですし、うちの子どもたちも、近所の人たちからかわいがってもらっています。
こういうものは、機械化・電化・法的制度、その他の人為的システムでは得られない住みやすさだと思います。
山里の古民家暮らしの良さは、数字では計れないのです。仮に計ったとしても、あまり意味がないんじゃないかと思います。
建物もそうで、近年は住宅の性能評価規定もありますが、もし古民家の「性能」を評価してもらったら、非常に低い数値がでるだろうと思います。古民家は数値で表される性能が低いから住み心地が悪いのかというとそうではなく、天然素材、手作りの味わい、経年による落ち着いた雰囲気、シンプルな間取り、使う側の自由度の高さなど、どれをとっても居心地が良く使い勝手がいいのです。民家の形態に、機能から作られていった合理性を感じます。建った時代が今と違うから現代の設備機器や家電製品が合わないと言う人もいますが、自由度の高い家なのでなんとかなっています。配管や配線を隠そうとせず、きれいに配管・配線してもらえば見苦しくありません(一般に、年配の職人はきれいにやってくれます)。それに、そもそもそんなに多くの設備や家電はいらないのです。ものが多くなれば維持管理が増えて大変になるだけなので、古民家暮らしに限らず、生活の中の物品の数を減らしたほうが暮しやすいと思います。
畳の和室は、ちゃぶ台を置けば食堂にも応接室にもなり、文机を置けば書斎になり、布団を敷けば寝室になり、建具を外せば大広間ができます。洋間ではそういう使い方はできません。縁側も単なる廊下ではなく、子どもの遊び場になったり、ちょっとした接客スペースになったり、縫い物をしたり、穀物を干したり、多目的に使えます。土間や板の間もいろいろ使えるので、伝統的日本家屋は万能の家だと言えます。

世の中全般、数字で表されるものはわかりやすいので、つい、数字に目を奪われがちです。
ものの価格や人の収入、学校の成績といったものから、住んでいる地域の気温、積雪量、平均年齢、駅までの距離、その他いろいろを数字で表すことができます。
でも、地域や住宅の住み心地のよさは、そもそも点数や値段をつけて比較したりする性質のものではありません。私は、山里の自然に囲まれた古民家で、平凡な日々の中にささやかな幸せを感じておりますが、こうした満足感は数字で表しようがありません。(伊藤)

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