信仰の根拠は聖書のみ? その歴史的考察(1) ルターにとっての新約聖書
宗教改革を受け継ぐプロテスタントは今日でも基本的に「信仰の根拠は聖書のみ」を掲げている。
日本においても、たとえば日本基督教団の信仰告白にこうある。
「旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。」
信仰の根拠を聖書のみとする主張はマルティン・ルター(Martin Luther 1483–1546)に由来する。「信仰の根拠は聖書のみ(sola scriptura)」と主張したルターは、新約聖書の諸文書はどのように成立し正典化されたのか、どの程度理解していたのだろう。
ルターは、アウグスティヌス会の修道司祭であり、神学者であり、協力者がいたとはいえ聖書をドイツ語に訳すほどの実力があった人物である。神学教授でもあったルターは、ヒエロニムス、アウグスティヌス、エウセビオスなどの著書を通じ、「初期の教会においてどの文書を新約正典とするのか議論されていた」ことや「新約聖書が確立する以前も、使徒の時代から受け継がれてきたとされる使徒的文書が教会で用いられていた」といった知識を有していたろうし、「新約聖書27巻がまとまったものとして一気に人類に与えられたのではない」こと、「27巻の文書が最終的にカルタゴ会議(397年)で新約正典と確認された」ことなども知っていたと思われる。
今日、「聖書66巻は一字一句に至るまで神の霊感によって書かれた誤りなき神の御言葉です」という主張がある。保守的福音派および自称「福音派」などの主張である。この主張は、19世紀~20世紀初頭の近代主義への反発の中で言われ出したものであり、ルターに由来するものではない。
ルターは新約聖書27巻のそれぞれの文書を同等とは考えていなかった。27巻が確定する以前に、有力な正典候補とあまり有力でないものがあったことをルターは知っていた。ルターは、新約が形成されていった過程があり、やがて27巻の文書が正典と認められたと理解していた。ルターには、すでに近代的な聖書批評学の萌芽があったとも言えるのである。
ルターが言った「信仰の根拠は聖書のみ」は、聖書の文書はみな等しいという意味ではなく、「聖書が証しするキリストによる神の御言葉こそが信仰の根拠」という意味に解すべきであろう。
ルターは、キリストを強く証言する文書として、ヨハネ福音書、ローマ書、ガラテヤ書、1ペトロ書を挙げ、これらの文書を聖書の中心と見なしている。古代において正典性に疑義があったヤコブ書、ユダ書、ヘブル書、黙示録を疑わしい書(Antilegomena)とし、この4書は、1522年版のルター訳ドイツ語聖書では一応これらも載せておくという付録の扱いだったという。
黙示録をことさら重視し、終末のときにはああなるだのこうなるだのと熱心な保守的福音派や自称「福音派」とはかなり違う。
今日の保守的福音派などからすれば、「ルターは十全霊感を認めず部分的霊感説を信じていた」「だから間違った信仰だ」ということになる。そして、その間違った信仰を受け継ぐのが自分たちだ、ということになる。
ルターは正典成立史をある程度までは理解しており、歴史的に議論があった書については慎重な扱いであった。彼は各文書の同等の価値を認めておらず、自分の神学的原則によってキリストを強く証言する文書を優先し、新約聖書内部で文書の格付けをした。
実際、ルターが疑わしい書としたヤコブ書、ユダ書、ヘブル書、黙示録は、どれも後代に書かれた文書であり、使徒やイエスの兄弟に由来するものではない。ヨハネ福音書や1ペトロ書も使徒ヨハネや使徒ペトロの作ではないが、ルターがそこまで見抜けなかったのは時代の制約と言うべきだろう。
ルターは、今日の保守的福音派や自称「福音派」とはかなり違う。むしろ自由主義神学やリベラル派に近いとさえ言える。ルドルフ・ブルトマンがルター派の出身なのもうなずける。
(続く)
(伊藤一滴)
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