創作・あるクリスチャンの祈り
あるクリスチャンが祈りを捧げました。
主よ、
今から四十年ほど前、学生だった二十代の私は、原理主義的な考え方にとらわれている兄弟姉妹たちに出会いました。
それは、聖書の表面的な文字づらを重視し、現代の科学も史学も聖書学も受け入れない人たちでした。新約聖書の御言葉まで律法のように使って、規則や禁止事項でがんじがらめになっているように見えました。その姿は、新約聖書が教えている「律法主義の克服」と方向が逆だと思いました。また、社会や政治の問題への関与を否定する姿勢や、誠実に生きている他の教派や他の宗教の信者を下に見るような言葉の数々に、時に腹を立て、時に心を痛めました。私は説得を試みましたが、かないませんでした。
筋道を立てて理論的に説明すれば分かってもらえるだろう思い、努力しました。でも、彼らはかたくなになるだけで、対話の努力が通じませんでした。私は苛立ち、しまいには喧嘩腰になっていました。
そのときは熱心に説得を試みたつもりでしたが、若かった私は、愛と忍耐が足りず、うまく対話することができませんでした。そして、互いに心が閉ざされてしまいました。
どうか、彼らが、御言葉の本当の光に出会い、キリストの愛と恵みの広さを知ることができますように。
また、私自身も過去の至らなさから学び、人を責めるのではなく、その人の置かれた立場を理解するよう努め、あなたの平和の道具として歩むことができますように。
主よ、至らなかった私が、今も心に感じる痛みを受けとめてください。
それをあなたの御手の中で、愛と忍耐を持って人に接する態度へと変え、私を進ませてください。
主よ、私はここにおります。あなたのため、用いてください。
主イエス・キリストの御名によって、この祈りをみ前に捧げます。
アーメン。
この祈りを捧げた人はエキュメニストでした。
エキュメニストとは、キリスト教の諸教派の一致や協力および非キリスト教徒との対話を目ざすエキュメニズムを推進しようとする人のことです。
誤解があるようですが、エキュメニズムは単純にキリスト教の諸教派を一つに統合しようとするものではなく、それぞれの多様性を認めながら、キリスト教徒としての一致を目ざすものです。
祈りの後、この人は言いました。
「天国に教派なんてありませんよ」
(伊藤一滴)
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