「神様なんていませんよ」 田川建三さんにお会いしたときのこと(改訂版)
(田川建三氏は2025年2月19日、気管支肺炎のため群馬県の病院で逝去されました。享年89歳。葬儀は近親者で行われたとのことです。出版社の作品社が8月13日に発表し、新聞等で報じられました。追悼の思いを込めて、以前書いた文章を手直ししてここに載せます。)
田川建三さんにお会いしたのは1994年5月20日でした。
著書『イエスという男』にサインをお願いしたら、几帳面な田川さんが日付まで書いてくれたので、その日だとわかります。
当時、私は建築を学んでいて、東京の高田馬場に住んでいました。
西早稲田の大学本部キャンパスで田川さんの講演会があると知り、あの田川建三の話を直に聞けるのかと、うれしくて、知り合いの学生らと講演会に行ったのです。(※1)
講演の内容は、宗教カルトの問題で、キリスト教を装うカルトが各地の大学で活動していることへの注意の呼びかけが主でした。ご専門の新約聖書の話もしながら、カルト団体が聖書学的に成り立たない解釈をしているという話もしてくださいました。
講演が終わり、「本日の講師、田川建三さんとお話がしたい方はこの場にお残りください」とアナウンスが流れました。十数名の学生が残りました。私も残りました。
当時、田川建三氏は、まだ、著書などで自分の生い立ちを明らかにしていませんでした。私は、ぜひ聞きたかったので質問しました。
「田川先生、先生はクリスチャンホームのご出身ですか?」
初対面の人にいきなりそんなことを聞くのはどうかと思ったのですが、私は聞きたかったのです。
田川さんは私の方を見て言いました。
「母は信者でした。・・・・父は違いますが。」
そして私から目をそらし、宙を見ながら独り言のように言いました。
「神様なんて、いませんよ」
私は神様がいるかどうかを田川さんに聞いたのではなく、クリスチャンの家に生まれたのかどうかを聞いたのに。
それに神が存在するか否かは、神をどう定義するのかにもよるでしょう。でも、そもそも神って、人間の能力で定義できるのでしょうか。人間の思考の範囲内に収まる存在なのでしょうか。
そんなことを思いながら、いくつか質問をしました。
田川さんは、私がいろいろ聞くと、ていねいに答えてくださいました。「ケンカ田川」なんて言われる人だから、ちょっと、怖かったんです。恩師の前田護郎には批判的だし(※2)、八木誠一さんともあまり仲が良くないようだし、荒井献さんらを厳しく非難しているし・・・・。
でも、一般の人にはていねいに答えてくれる人でした。文系の学生たちが的外れなことを聞くのはちょっとまいりましたけど。彼らは、うんと文系の受験勉強をしているから、広く歴史一般に詳しいのですが、聖書学や原始キリスト教史のことはあまり知らないようでした。
「マルコ福音書注解の中巻や下巻の刊行はいつごろになりそうですか?」と聞いたら、
「中巻はほぼ出来ているので数年のうちに出せると思います。下巻もだいぶ進んでいるので、中巻を出したらまもなく出せるでしょう」なんて言ってたんですが、あれから30年以上たって、数年のうちと言っていた中巻もまだ出てません。(※3)
話込んでいるうちに会場の使用時間が来てしまい、場所を変えてもう少しお話ししましょうということになりました。外は暗くなっていました。田川建三さんと私と数名の学生で、西早稲田から高田馬場駅前まで、夜の道を歩きました。私は田川さんのすぐ隣を歩きました。歩きながらでも、少しでもお話ししたいという思いもありました。それと、田川さんは、宗教批判もするし政治的な発言もするんで、敵も多いだろうと思い、万が一にでも、暗がりから暴漢が襲いかかってきたりしたら、私は自分の身を盾にして守るつもりでした。本気でした。田川建三を失ったら、新約学研究にとってどれほどのマイナスになることか、たとえ自分が刺されようが斬られようが、身を挺して田川さんを守ろうと、あのとき、本気で思いながら歩きました。
駅前の飲食店で食事をしながら話しました。少しお酒も飲みました。天下の田川建三と飲む日が来るとは思いませんでした。
私は、当時、田川さんの日本語の著書は全部読んでいましたし(※4)、お聞きしたいこともいろいろあったので、とにかく、いろいろな話をしました。飲食店に入ってからの会話はあまり覚えていないのですが、聞いてもいないのに、田川さんは、「神様なんていませんよ」って、3回か4回、あるいはもっと言っていたんじゃないかと思います。
自分たちのことを正統だの福音的だのと言いながら、平気で人を虐待する自称「教会」や、カルト化した「教会」が言う意味での「神様」なんていないのは、私も知っています。そんなのは、人が勝手に聖書をこねくり回して頭の中で創り出した神様ですから。つまり偶像ですから。でも、たとえばマザーテレサが本気で信じていた神様もいないのかと問われたら、私は、いないとは言えません。
そんな話をしたのかもしれません。田川さんは、「第二バチカン公会議があってカトリックも変わりましたね」みたいなことを言ってました。あとは詳しく覚えていません。
一番頭に残っているのは、「神様なんていませんよ」って、田川さんが何度も言っていたことです。
それが、田川建三という人なのでしょう。
追記
田川先生、『新約聖書概論』がまだですよ。
新約聖書の全訳註をお出しになったのだって、『新約聖書概論』を読んでもらうためには新約聖書の正確な訳が必要だからだったはず。訳と註、けっこうな値段でしたけど、全巻買いましたよ。
前提となる訳と註だけ出して概論を出さないなんて、そんなのありですか? この「訳と註」の註には「詳しくは概論で」と書いてある箇所がかなりあるのに、その概論を出さないまま死んじゃうなんて、ちょっと待ってよと言いたいです。
著作権継承者の方。『新約聖書概論』のための膨大な草稿があるでしょうから、専門家に整理してもらった上で刊行してもらえませんか。
(それができる「専門家」は限られるでしょうけど。荒井献先生の弟子や孫弟子は嫌がるだろうし。)
赤岩栄先生の雑誌「指」を受け継いでくださったのはよかったのですが、2年間休刊と言いながら廃刊じゃないですか。しかも前納の購読料がうやむやになってます。私も前金で払ったんで、被害者です。(数千円、被害に遭ったかな。)
荒井献先生、佐竹明先生も召されて行って、今度は田川建三先生ですか・・・。そういう年代なんですね。
※1
私は大学生ではありませんでしたが、大学の学生たちとつき合いがありました。西早稲田の1号館に大学本部があったので当時は「本部キャンパス」と呼ばれていました。学生はこれ略して「本キャン」と呼んでいました。現在は「西早稲田キャンパス」という名前になっています。
※2
あとから出た『はじめて読む聖書』などによると、田川さんが東京大学西洋古典学科に在籍中に、担当の前田護郎教授に「新約学を専攻したい」と進路相談に行ったら、顔を見ようともしないで「何しに来た」みたいな態度で「佐竹明君に聞きたまえ」くらいしか言ってくれなかったんだそうです。田川建三氏側の言い分だけですけど、書いてあることがその通りならアカハラですし、職務放棄ですね。そんなんで大学から給料をもらっていいのかって思います。前田護郎と言えばやや保守的で誠実なクリスチャンのイメージですが、これが本当なら、学生(の一部?)にはずいぶんひどい態度だったんですね。
※3
上巻だけ出して中巻と下巻は出版しないって、そんなのあり?
「原稿に書いたことと考えが変わったから中と下は出さない」のなら、上巻を絶版にして全部書き直すのが筋でしょう。
佐竹明先生はご自分の担当分は全部出しましたよ。荒井献先生だって、だいぶ時間はかかったけど使徒行伝注解を完成させてます。
中巻・下巻の原稿はほぼ出来ているんでしょう。著作権継承者の方は、ぜひ、中巻・下巻を出版してください。お願いします。もちろん買います。
※4
単行本として刊行された本です。雑誌や研究紀要などにお書きになったもので単行本に入っていない文章までは読んでないです。そこまで田川マニアじゃないです。
(伊藤一滴)
2018-07-31掲載分を改訂
グーグルをお使いの場合、次の検索でほぼ確実に私の書いたものが表示されます。
ジネント山里記 site:ic-blog.jp(検索)
(スポンサーの広告が出てくることがありますが、私の見解とは一切関係ありません。)
過去に書いたものは、こちらからも読めます。
http://yamazato.ic-blog.jp/home/archives.html
田川建三氏の新約聖書の本文のみの版が出た時か「書物としての新約聖書」に「たかがヘンデル」の「メサイア」を大阪でコンサートを行った時に翻訳と注を販売した時に、この翻訳と注を1冊欲しいと質問した上で分冊版の注釈を別に出す予定はありませんか?とメールで質問した事があります。そうしたら氏は「分冊版の注釈を別に出してほしい」という文章を読み飛ばして改めて注釈を書くのか?と怒りだして「分冊版を全部買え!」と返事が着ました。勿論、「たかがヘンデル」の「メサイア」など売ってくれませんでした。「書物としての新約聖書」を読んで感銘を受けて氏の著書や分冊版も買ったのに田川建三という人は自分ではあれこれ批判するのに独善的で他人からの反論には受け付けないとは読んでいたので、さほど驚きませんでしたが。ルーマニア語が母語のミルチャ・エリアーデは作品社から第二次大戦当時の駐ポルトガル大使館勤務経験を鉄衛団員の立場から国王ミハイやアントネスク元帥を批判した「ポルトガル日記」を作品社から邦訳が出ているのに「宗教とは何か」で共産化されてから「逃げ出した」と書いていましたから。田川氏はラテン語とフランス語の知識でイタリア語なりスペイン語なりを理解出来るそうなのでエリアーデの母語のルーマニア語も読めるでしょう。「宗教とは何か」でエルンスト・ブロッホをドイツ民主共和国から「逃げ出した」と書くなら同じ立場のクルト・ア-ラントを評価するのは理解出来ませんし。いっその事、19世紀の校訂本かクルト・ア-ラントが関わりを持つ前か彼が没してからのネストレを使うべきではないですか?「書物としての新約聖書」にあるベルギー人のラゲ神父を「フランス人」といった間違いも指摘した返事を書きましたが田川訳にある「スペイン」は今のスペイン王国を指すのだ!という意味の反論が着て二度と相手にしないで終わっていました。ヒスパニアがスペインの語源であっても「ヒスパニアはスペインだ!」では英語から訳したエホバの証人の新世界訳聖書といい勝負で、こんなおかしな「解釈」をする人だと呆れて「書物としての新約聖書」以外は古本屋に売ってしまいました。
投稿: コメントの寄稿者 | 2025-09-16 20:19
私にも自筆のメール頂き、軽井沢でのセミナーに声を掛けて頂きました。遅れながらネストレー27をJBSと見比べながら何年もかかるが、概論をお待ちしていたのに。火刑にはならないだろうが。
私の私訳「義人はいない、一人もいない。=信仰者はいない、一人も」
投稿: 川合 浩 | 2025-09-16 23:35
コメントの寄稿者 様
一滴です。
田川建三さんて、評価が分かれますね。なにしろ、「ケンカ田川」ですから。
とてもいい人だったと言う人もいるし、とんでもない人だったと言う人もいるし・・・。
「ケンカ田川」が高齢になってさらに怒りっぽくなっていたんでしょうか。
田川さんは人の間違いを厳しく指摘しながら自分も間違っているときがあった、というのは本当です。
『書物としての新約聖書』には、カトリックのE・ラゲ神父をフランス人と書いていたり、他にも誤記や、田川さんの認識不足、不適切な記述などがあります。
いずれ、気づいた点を書いてみたいと思います。
それは、鞭打つためではなく、とても優れた本だと思うので、誤記や不適切な箇所を指摘しておきたいのです。
(ラゲ神父は、フランスに本部があるパリ宣教会(=パリミッション)から派遣されて来日したベルギー人の宣教師です。フランスの宣教会から派遣されたからといってフランス人ではありません。キリスト教系の出版社なら編集部の人が気づいたと思うのですが、勁草書房ですから、明治期のカトリックの宣教に詳しい人がいなかったのでしょう。)
コメントありがとうございました。
投稿: 伊藤一滴 | 2025-09-19 16:48
川合 浩 様
一滴です。
田川訳の新約聖書を他と読み比べ、註も全部読むと、一生かかっても終わらないような気がしてきます(笑)。あれだけの全訳註をお一人でなさったんだから、すごいものです。
いずれ出すと言っておられた「新約聖書概論」が未刊行というのがとても残念です。
マルコ注解の続きも出してほしかったです。
「信仰者はいない、一人も」は、実にお見事です。
パウロは自分を顧みて「律法を完全に守ることができる人など、一人もいない」って言いたかったのかと思います。
「(新約も含めて)聖書の教えを完全に守ることができる人など、一人もいない」とも言えますから、「真の信仰者などいない、一人もいない」と言えるだろうと思います。
コメントありがとうございました。
投稿: 伊藤一滴 | 2025-09-19 16:49