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健全な宗教と危険な宗教

たまたま読んだ AERA dot.に、青山学院大の宗教部長の塩谷直也氏(法学部教授)の見解が載っていたので紹介したい。
塩谷氏は統一協会(世界平和統一家庭連合、旧統一教会)について述べておられるのだが、統一協会のカルト性は、「福音派」やエホバの証人のカルト性と共通していると思いながら読んだ。

出典 https://dot.asahi.com/dot/2022091400082.html


「健全な宗教と危険な宗教との違いはどこにあるのでしょうか。」という問いに対して、

引用開始

塩谷さん:明らかな人権侵害をしているかどうか、だと考えます。最も分かりやすいのが「結婚の自由」の侵害でしょう。旧統一教会の合同結婚式など、その最たる例と言えます。また、正体を隠しての勧誘もそうです。宗教だと名乗らず、サークルやボランティア、今注目されているSDGsなど、入り口を魅力的に偽装して、興味を持って入ってきたターゲットと人間関係を作り上げていく。輪の中に入り込み、もう引くことができないという状況を作ってから宗教色を出し始め、取り込んでいきます。このやり方は明らかな自己決定権の侵害に当たり、詐欺と同じ行為です。

正体隠しの勧誘は、あってはなりません。健全な団体なら、最初に何者かを名乗りますよね。宗教に限らず、当たり前のコミュニケーションのあり方です。現代における宗教は、きっちり名乗ったうえで、勧誘したとしても相手の選択権を尊重し、さらに入退会を自由にする。そうした透明性が大切だと思います。もちろん、例えば友人に、「ちょっと話を聞いてよ」などと言って、後から自分の信仰について話す信者がいる可能性は否定できません。ただ、相手の選択権は奪ってはいけない。嫌だ、興味がない、とはっきり言える権利は守る。それが健全な宗教のあり方です。

引用終了


「神を信じることとマインドコントロールは何が違うのでしょうか。」という問いに対して、

引用開始

塩谷さん:健全な宗教は、その人の考える力を奪いません。むしろ、その力を与え、考えることを放棄させないのです。逆に、マインドコントロールなどによって考える力を奪うのが危険な宗教のやり口です。ここはまったく違います。キリスト教で言えば、健全なキリスト教は「聖書の神様はこう言っているけど、あなたはどう思いますか?」という問いかけがあります。神と対話し続ける、いわば「悩む力を与える」のです。

 一方、危険な宗教団体はどうですか。抱えている悩みや苦しみに対し、ご先祖の問題が今のあなたに影響を与えているなど根拠のない答えを示したり、世界の終わりがやってくると明言し、恐怖心でその人の心を支配しますよね。閉ざされた世界を作り、そこには「カリスマ」が必ずいて、「正しいことをしているのに迫害されている」などとありもしない話で被害者意識を作り上げる。そこにハマってしまうと、考える力を宗教に預けるようになり、その人の頭は、鋼鉄のヘルメットが覆っているような状態になってしまい、やがてそのヘルメットによって「組織の教え」以外の考えをすべて跳ね返し、否定するようになります。考える力を奪うということは、きわめて犯罪的な行為だと思います。

引用終了


「なぜ、カルトや危険な宗教にはまってしまう人が後を絶たないのでしょうか。」という問いに対して、

引用開始

塩谷さん:危険な宗教の特徴として、二分法を用いるという点があります。この世界を「正しい世界」と「間違った世界」だったり、「善人」と「悪人」に分ける。性格が真面目で「正しい人」や「善人」でありたい人、正解を求めてしまいがちな人は狙われやすい。カルトはその人の不安をいかにも理解したように装って安心させ、取り込んでいく。そして自分は「正しいことをやっている」と信じさせて、今度は勧誘する側に取り込む。そうなると彼ら・彼女らは一生懸命勧誘(伝道活動)を始めます。基本、真面目な人が多いからです。

引用終了


「旧統一教会は身を滅ぼすような高額の献金が問題視されています。ただ、寄付や献金は健全な宗教でもあります。どう違うのですか。」という問いに対して、

引用開始

塩谷さん:おっしゃるように、どの宗教も寄付や献金はあります。何が違うのかを分かりやすく例えると、大学の卒業生が大学に寄付をするとしたら、「その学校に通ったことへの感謝」「学校が好きだから」といった前向きな気持ちがあると思います。健全な宗教への寄付や献金も、それと似ています。

 一方で危険な宗教団体は、恐怖心や不安をあおってその人の考える力を奪い、その不安の解消のために多額の献金や物品の購入を迫ります。健全な宗教の愛は「無償の愛」ですが、危険な宗教は「見返りを求める愛」なのです。お金を出してこれを買えば、あなたも家族も、ご先祖も救われると。教えが本物なら、「押し売り」は必要ありません。偽物だから、なんだかんだと理屈をつけて押し売りするしかないのです。

引用終了


「これだけ世間から批判を受けて問題視されても、危険な宗教団体がなくならないのはなぜでしょうか。」という問いに対して、

引用開始

塩谷さん:被害者意識が植えつけられているので、批判を「迫害」ととらえ、結束がより強固になります。今の旧統一教会もそうした状況でしょう。(以下略)

引用終了


以下は私のコメント

だいぶ前の話だが、「福音派」が英会話教室と称して宗教と名乗らずに勧誘していたことがあった。私は英会話に関心があったので会場に行ってみたのだが、英会話の先生はアメリカ人のファンダメンタリストだった。英会話は隠れ蓑で、実は、宗教勧誘が目的だった。
私だから気づいたが、正体を隠しての布教(伝道)は詐欺と同じではないか。

統一協会や「福音派」に限ったことではないが、信者同士で結婚するのが当然という前提も、「結婚の自由」の侵害ではないかと思う。

「抱えている悩みや苦しみに対し、ご先祖の問題が今のあなたに影響を与えているなど根拠のない答えを示したり、世界の終わりがやってくると明言し、恐怖心でその人の心を支配しますよね。閉ざされた世界を作り、そこには「カリスマ」が必ずいて、「正しいことをしているのに迫害されている」などとありもしない話で被害者意識を作り上げる。」
塩谷氏は統一協会についておっしゃるのだが、この「ご先祖の問題」を、たとえば「あなたの罪」に置き換えたら、「福音派」の脅しとそっくりだ。「福音派」は、「私たちは正しいことをしているので迫害されています」と言う。そして「福音派」にもカリスマ的な人物がいる。

「危険な宗教の特徴として、二分法を用いるという点があります。この世界を「正しい世界」と「間違った世界」だったり、「善人」と「悪人」に分ける。性格が真面目で「正しい人」や「善人」でありたい人、正解を求めてしまいがちな人は狙われやすい。」という。
これも「福音派」の特徴と同じだ。何でもあれかこれかに分けようとする。世の中には、複雑なものや中間的なもの、あいまいなものも多くて、簡単に2つに分けたりできないのに、白でなければ黒のような、わかりやすい二分法の思考になってしまう。専門家でも簡単に答えられないことでも、簡単に「正解」を求めてしまう。

「危険な宗教団体は、恐怖心や不安をあおってその人の考える力を奪い、その不安の解消のために多額の献金や物品の購入を迫ります。健全な宗教の愛は「無償の愛」ですが、危険な宗教は「見返りを求める愛」なのです。」という。
これも「福音派」に当てはまる。
前から思っているのだが、多くの場合、教会や牧師の質と信者の負担は反比例する。つまり、質の高い教会や牧師から学べば信者の負担は小さく、あやしい教会や牧師だと、信者の金銭や労力の負担が非常に大きくなる。
「福音派」と称するあやしい教会は、信じる喜びで信者同士がつながっているのではなく、この教会から離れたらサタンの罠に落ちるとか、地獄で永遠に焼かれるといった恐怖心でつながっているようだ。

「救われて天国に行きたい」という目的で、そのために教会に寄付したり奉仕したりするのも、天国という見返りを求める御利益(ごりやく)宗教で、イエスの教えとは違う。そのような信仰のあり方は、高額な壺の購入や免罪符の購入と変わらない。


私の結論

統一協会と「福音派」は、実によく似ている。
異端とされているか正統とされているかの違いはあっても、そのカルト性、反社会性、真面目な人たちの入信、マインドコントロールの手法、見返りを求めること、金銭や労力の搾取など、共通点が多い。「正しいことをしているのに迫害されている」と思っている点までそっくりだ。
こうしたカルト団体は、イエスの教えとはかなり方向が違う。

世間から批判を受けて問題視されても、「被害者意識が植えつけられているので、批判を「迫害」ととらえ、結束がより強固になります。今の旧統一教会もそうした状況でしょう。」という。
これも、「福音派」とよく似ている。

(伊藤一滴)

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