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流血と悲しみのイースター

キリストの復活を祝うイースター(復活祭)は、北国では春を感じるときである。
草が生え出し木々には新芽が出てきて、冬の間の死んだような風景が生き生きとした風景に変わってゆく。まさに、死と復活を思うのにふさわしい。

だのに、今年は…。
ロシア軍のウクライナ侵攻が止まらない。何の落ち度もない市民の犠牲が止まらない。
キーウ近郊の被害が明らかになってきているが、マリウポリの犠牲者は2万数千人を越えたのではないかと報じられていた。今もロシア軍に包囲されていて詳細がわからない。


マリウポリ。
マリウポリの名は「マリアの町」という意味だという。ロシア皇后の名にちなんだとも言うが、その皇后の名もイエスの母マリアに由来するわけだから、もとをたどればイエスの母の名を冠した町である。その町が、今、破壊と虐殺の町、兵糧攻めの町となっている。


マリウポリが攻撃されたばかりの頃、インターネットで「マリウポリ」を検索したら、
マリウポリ観光案内、名所、おすすめのホテル、レストラン、おいしいウクライナ料理、ビーチなど、写真付きで上位に出ていた。
海に近い観光地でもあったのだろう。私が見たネットの紹介にあった名所もホテルもレストランも、今はもう破壊されてしまったのか。

イエスの母マリアは、ご自分の名に由来する名のマリウポリの惨状をどうお思いになるのだろう。


今年のイースター(復活祭)は、西方教会が4月17日(日)、東方教会が4月24日(日)だった。


西方教会:ローマカトリック教会やプロテスタント諸教会 日本の教会の多くは西方教会
東方教会:ロシア正教、ギリシャ正教などの正教会 ウクライナ正教会も東方教会


クリスマスと違ってイースターは日付が一定していない。聖書の記述では、イエスが十字架で処刑されたのは過ぎ越しの祭の祝いの食事の前(ヨハネ福音書)、または食事の後(共観福音書)である。
イエスは次の日曜に復活したというから、現代の暦だと、春分の日を過ぎた満月の日の次の日曜日に主の復活が祝われる(西方教会)。東方教会は計算が少し違う。

今年の西方教会のイースターに当たる4月17日(日)、私は山形市内の某教会が見える場所に行ってみた。
晴れていた。
今年の桜は早くて、教会のまわりは花が満開だった。
暖かな春のイースターなのに、私の心は重く、復活を祝うのがためらわれた。


国連のグテーレス事務総長がイースター停戦を呼びかけても停戦は実現しない。

4月24日(日)は東方教会のイースターだった。
ウクライナがロシア軍から奪還したブチャで行なわれた復活祭が報じられていた。教会の庭には多数の遺体が仮埋葬されたという。

血のイースター、悲しみのイースターなのか。
キーウの近郊は奪還された。ロシア軍の蛮行による傷はとても深いだろうが、奪還された。
だが、東部の「マリアの町」は、今も封鎖されたままで、おそらくかなりの破壊と虐殺と飢餓が続いているのだろう。だのに、世界のだれも迅速で有効な手を打てずにいる。

「皆さんは“God bless Ukraine”と祈るのはやめて下さい。現実的な支援をして下さい。祈っても無駄なのです。祈っただけでは、子どもの命を救うことも、高齢者に食事を提供することもできない。」(マリウポリの市民ボランティア)

「祈っても無駄なのです」という言葉が私の胸に突き刺さる。

「神様なんていない」と考えれば、すべて説明がつくのだろうか。
仮に、神様がいるとしても、神はまったく無力なのか。

「祈っても無駄」と言われても、私は祈らずにはいられない。
存在しないかもしれない神に、まったく無力かもしれない神に、それでも、祈らずにはいられない。

(伊藤一滴)

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