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ヘブル書の著者は女性? 優秀な女性使徒もいた?

まず、パウロの書簡「ローマ書」より引用する。

16:3キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。 16:4この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。 16:5またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。 16:6あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。 16:7私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。16:8主にあって私の愛するアムプリアトによろしく。 16:9キリストにあって私たちの同労者であるウルバノと、私の愛するスタキスとによろしく。 16:10キリストにあって練達したアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。 16:11私の同国人ヘロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人たちによろしく。 16:12主にあって労している、ツルパナとツルポサによろしく。主にあって非常に労苦した愛するペルシスによろしく。 16:13主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。 16:14アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスおよびその人たちといっしょにいる兄弟たちによろしく。 16:15フィロロゴとユリヤ、ネレオとその姉妹、オルンパおよびその人たちといっしょにいるすべての聖徒たちによろしく 。
(ローマ人への手紙 新改訳初版)


ヘブル書(=ヘブル人への手紙、ヘブライ人への手紙)の著者は不明とされているが、上記の引用16:3にあるプリスカ(プリスキラ)という女性ではないかという説を聞いた。古くからその説はあったが、ドイツの聖書学者アドルフ・フォン・ハルナック(Adolf von Harnack)もプリスカの著作説を述べているという。
残念ながら、ハルナックのこの論の日本語訳がない(私が探せないだけかもしれないが)。そして、私には、ドイツ語の原文を読む能力がない。

すべて仮定の話であるが、新約聖書の中でも名文の誉れ高いヘブル書は、著者が女性であるがゆえに著者名を消されてしまったのかもしれない。あるいは、著者本人が、多くの人に読んでもらいたいと願い、あえて名を出さなかったのかもしれない。著者名が記されていないためパウロの作と誤解され、この誤解によって新約聖書に収められた。おかげで、今も私たちは読むことができる。もし著者名が出ていれば、「なんだ、女が書いたのか」と、それだけで価値の低いものとされ、歴史の中で失われていたのかもしれない。

ハルナックによれば、もし、著者がパウロ、ルカ、ローマのクレメンス、バルナバ、またはアポロといった人なら、著者名がはっきりと記され、伝えられたことだろう、という。
プリスカ(プリスキラ)とアクラの夫婦は、雄弁家アポロに教えた人たちであった(使徒18:24~)。この夫婦の名を記すとき、パウロもルカも妻のプリスカ(プリスキラ)の名を先に書く。プリスカは夫より有能で、影響力も大きかったのかもしれない。そして夫のアクラの方が、プリスカを補佐していたのかもしれない。


もう1点紹介したいのは、上記に引用したローマ16:7に出てくるユニアス(ユニア)のことである。彼女は、アンドロニコの妻で、使徒の1人であったのかもしれない。使徒と言っても十二使徒だけではない。パウロも使徒(アポストロス)と呼ばれている。

7節を新共同訳のように「アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました」と訳すなら、アンドロニコもユニアスも使徒であり、使徒たちの中でも目立つくらい優秀な人だった、と読める。
パウロはこの2人を「私より先にキリストにある者となった」と言っている。2人は生前のイエスから直接学んだ弟子であったのかもしれない。
パウロが生きて活動していた時代、優秀な使徒の女性がいた、パウロはそれを評価していた、ということになる。
「いっしょに投獄された」とあるからといって、ユニアスは男性だったとは言えない。監獄の中の部屋が分かれていたのかもしれないし、中世になっても男女を同じ牢に入れることもあったというから、まして人権意識の希薄な古代、縄や鎖で縛ったり桎梏をはめたりして身動きがとれないようにし、男女を同室の牢獄に入れたのかもしれない。

これも仮定の話だが、教会が組織化され指導者が男性で固められていく中で、かつて女性の使徒がいたと認めたくない人たちによって、ユニアの名は男性風にユニアスとされたのかもしれない。

なお、カトリックはいまだに女性の司祭すら認めないのに、この箇所の訳は古くからユニアになっているという。
古い聖書を見ると、この箇所はユニアとなっていて、欽定訳も Junia としている。明治元訳もジユニヤだし(ジュニヤと読んだのだろう)、ラゲ訳もユニアになっている。
近年の、聖書協会共同訳も、この人を女性と考えてユニアとしている(私はまだこの訳を買っていないが)。
聖書の訳は今も揺れていて、時には、否定された過去の読みにまた戻ったりするようだ。

ローマ書16章で男女を区別せずに「宜しく伝えてください」と述べているパウロが、ひどい女性差別者だったとは思えない。

プリスカ、
マリヤ、
ユニアス(ユニア)、
ツルパナとツルポサ、
ペルシス、
ルポスの母、
ユリヤ、
ネレオの姉妹、
オルンパ、

こうした女性たちに、パウロは宜しくと言っている。
初期の教会における女性らの活躍が察せられる。

他のパウロ書簡に出てくる女性差別的な記述の数々は、後に教会の指導者が男性で固められていく中で、別人によって書き加えられた可能性がある(バート・D・アーマンによる)。また、差別的な考えの人たちによって偽パウロ書簡が何通も書かれ、そうした偽書簡の一部はパウロの作と誤解され、正典入りしている。(※)

(伊藤一滴)


付記:聖書の原典は残っていません。長い歳月に渡って書き写された聖書は、歴史の中で不正確になってゆきました。学者は多くの写本を検討し、オリジナルに近づけようとしています。それが、本文校訂と呼ばれる作業です。本文批判、本文批評、正文批判、正文批評、など、いろいろ言い方がありますが、同じです。英語の textual criticism のことです。なお、この場合の「本文」は「ほんもん」と読むのがならわしです。「正文」は本来は「しょうもん」と読むのでしょうが、「せいぶん」と読む人もいます。

場合によっては一度否定された過去の読みに戻ることもあります。部分的にはそういうこともある、ということで、全体として過去の方が校訂が正確だったということではありません。

聖書解釈でも、一度否定された過去の読みに戻ることもあります。ユニアなのかユニアスなのかなど、まさにそうです。私も勉強不足で、写本によってユニアとユニアスと、どちらもあるのかと思っていました。そうではなくて、この名はロマ16:17に1度だけ対格で出てきて、主格がユニア(女)でもユニアス(男)でも、対格は同じユニアンになり、対格しか出てこないので性別がわからないんです。男か女かは、解釈による違いです。

※ 逆のことを言う人もいます。つまり、パウロが女性を高く評価しているローマ書16章は他の箇所と矛盾しているから後代の書き加えではないかって。
どうして教会の指導者が男性で固められていく中で、女性を高く評価するような書き加えがなされるのでしょう。発想がひっくり返っています。
そういうひっくり返った考え方をして、女性の指導者を認めようとしない人が、今も教会内にいるんですね。
私は、いろいろな訳の聖書を読んだり注解書を読んだりしていますが、翻訳者・注解者のほぼ全員が男性です。今に至るまで、キリスト教は、徹底した男社会になんですね。
キリスト教のごく初期は、そんな男社会ではなかったろうに。
私たちは、ローマ書16章などから、キリスト教の初期には多数の女性が活躍していたと察することができます。

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