プロテスタントの限界とカトリックの限界 覚え書き
1.プロテスタントの限界
「信仰の論拠は聖書のみ」は16世紀の時代の状況の中での主張。
当時の水準での聖書研究や正典論が前提。
カトリック教会の腐敗への対抗として、教会より聖書を上に置いた。それは、当時の歴史的な見解。
イエス自身は「信仰の論拠は聖書のみ」と教えていない。聖書のどこにも「信仰の論拠は聖書のみ」とは書かれていない。
(1)聖書よりキリスト教が先
旧約聖書の確立(90年代)より、キリスト教信仰が先。
新約聖書の確立(4世紀の末)より、キリスト教信仰の成立の方がずっと先。
聖書があって、聖書に基づいてキリスト教が成立したのではない。
キリスト教が先にあった。
ユダヤ教(主にファリサイ派)が90年代にヘブライ聖書(キリスト教から見れば旧約聖書)を確立し、キリスト教が4世紀の末に新約聖書を確立した。
この事実に対し、「信仰の論拠は聖書のみ」派は、納得できる説明ができない。
聖句を根拠にすることも、他の証拠をあげることも、理論的に説明することもできない。教会より聖書が上なのは、「聖霊の内的確証」(=聖霊の内的な証し)によって明らかだ、証明の必要はないとしている(カルヴァン)。この主張は、時代の制約によるものだろうが、理論を重んじる現代人には受け入れ難い。
今もプロテスタント諸教派は乱立し、教派間の対立も見られるが、聖霊はそれぞれの教派に別々に働いて別々に啓示を与えるのだろうか。
(2)聖書の権威についての説明ができない
「聖書の権威によって~」と言うが、では、なぜ聖書には権威があるのか、という根本の説明ができていない。
「聖書は66巻」と言うが、本当に聖書は66巻なのか、という根本の説明もできていない。
どちらも理論的な根拠を示さないまま、当然の前提として信ずべきことになっている。
ルターやカルヴァンの著作や、ウエストミンスター信仰告白などに根拠を求めても、それらは人間が書いたものであって神の著作ではない。
カルヴァンは聖書66巻に権威があるという理論的な根拠を示すことができず、聖霊の働きとしたのだろうが、それが本当に聖霊によるものなのか、証明のしようもない。
16世紀にはまだ、聖書の各文書の成立や正典化について明らかになっていなかった。
(3)聖書のみを論拠にしていない
「信仰の論拠は聖書のみ」と言いながら、「聖書のみ」を論拠にしていない。
カトリックの神学からの流用、宗教改革者らの著書、信仰問答や信仰告白、何々宣言等が、一種の「聖伝」となって、信仰の論拠に使われている。また、その教派の創始者や後継者の言葉なども「聖伝」のように受け継がれている。
カトリックの聖伝は否定しながら、自分たちは自分たちなりに一種の「聖伝」を持つという二重基準になっている。
(4)聖書の食い違いの説明ができない
プロテスタント、特に福音派の見解では、聖書の食い違いについてきちんと説明できない。
1.聖書に出てくる出来事や発言が食い違う(微妙に、あるいはかなり)
2.聖書の各文書の著者の考え方が食い違う(主張の違いは、教義にかかわるものもある)
3.聖書の記述が歴史的・科学的な事実と食い違う
4.新約聖書に出てくる旧約からのの引用が、旧約のその箇所と食い違う(微妙に、あるいはかなり)
1980年頃、だったと思う。10代の私は、福音派と名乗る教会の牧師に、4つの福音書の食い違いをどう考えればいいのか聞いた。すると、それまでニコニコしていた牧師は急に怖い顔になって、「聖書に食い違いなどありません! あなたには信仰がないから、聖書に食い違いがあるように感じるのです! もっと聖書を学んで信仰を持てば、食い違いなど一切ないのがわかります」と言った。
私は、そんなふうに言われると思わなかったから、驚き、そして怖くなった。
二度とそこには行かない。
その後私はさらに聖書を学んだが、ますます食い違いを感じた。聖書に食い違いがあると思うのは聖書の学びが足りないからではない。
(5)高等批評と進化論は脅威?
特に「福音派」の中に、高等批評学(歴史的批判的な聖書研究)と進化論を脅威と感じる人たちがいて、全力を挙げて否定する。まるで、信仰の中心は高等批評の否定と進化論の否定であるかのようだ。彼らの一部はカルト化している。
高等批評と進化論が脅威なら、地球が丸いのは脅威ではないのか?
宇宙からの写真にあるように地球は丸い。地球は太陽の周りを回っている。地上から飛び立って空高く昇って行っても天界はない。成層圏があり、大気圏があり、その先に宇宙空間がある。これらの事実は、聖書に反する脅威ではないのか? 弟子たちの目の前で天に昇ったというイエス様はどこに行った? 宇宙空間か? 天界はどこにある?
現代の宇宙論を、信仰を脅かす脅威として否定しないのはなぜ?
聖書の記述をすべて文字通り信じると言うのなら、地球は平らで、空高く昇れば天界に行きつくと考えるのが聖書的ではないか。
高等批評を否定し進化論も否定するなら、宇宙論も否定しなければ一貫性がない。
今も、地球は平面だとする主張がある。この人たちの方がまだ一貫している(もちろんその主張は誤りであるが)。(「地球平面説」検索 ※)
2.カトリックの限界
(1)キリスト教を信じる意義の説明は?
カール・ラーナーの見解や第二バチカン公会議公文書によれば、キリスト教を知らない人でも良心に従って生きるなら神の救いから除外されない、と読める。人の救いはキリスト教信仰の有無ではない、ということになる。
「人の救いはキリスト教信仰の有無ではない」なら、教会はキリスト教を信じる意義を納得できるよう説明できるのか。
(2)イエス・キリストは唯一の救い主?
イエス・キリストは唯一の救い主であるという考えを変えず、キリストの十字架の贖いは非キリスト教徒にも及ぶと考え、非キリスト教徒の救いを説くのは包括主義の一種だろう。
キリスト教の絶対性を譲らないなら、他宗教は誤り、あるいは不完全ということになる。誤り、あるいは不完全な他者を改めさせるのではなく、そうした相手を認めて共存することになってしまう。それは誤りや不完全さを是として認めることになるのではないか。
(3)過去の見解との整合性
かつてカトリック教会は、「教会の外に救いなし」と主張し、「洗礼を受けた信者以外は天国に行けない」と教えていた。カトリック教会はこうした見解を公式には否定していない。過去の見解との整合性はどうなるのか。
非キリスト信者は、天国とは別の場所で「救われる」ことになるのか。カトリック教会は納得できる答えを出していない。
(4)エキュメニズム(教会再一致運動)の課題
聖母マリアの無原罪論やローマ教皇の不可謬性などの教義は、第二正典の存在や聖人への祈り以上にプロテスタント側の理解を得るのが困難であろう。そうした教義をそのままにして、プロテスタント諸教会との対話の推進や将来的な教会再一致に進めるのだろうか?
カトリックの神学者の中には教皇の不可謬性に批判的なハンス・キュンクのような人もいた。再評価が必要ではないか。(キュンク著『ゆるぎなき権威?』参照)
また、宗教改革者らの名誉回復も不十分だと思える。
対話と再一致には課題が多い。
(5)ジェンダーの問題 司祭は男性のみ、しかも独身
カトリック聖職者の性犯罪問題とも関係するのだが、司祭を独身男性のみとする今のやり方は、再検討が必要ではないのか。
十二使徒はみな男性だったから司祭は男性に限る、というのは理由にはならない。十二使徒はみなパレスチナのユダヤ人であったが、司祭をパレスチナのユダヤ人に限ってはいない。初代教皇とされるペトロは既婚者であった。だから、聖書にも出てくる姑(しゅうとめ)がいた。
パウロの書簡には初期の教会で活躍した女性の名が多数出てくる。たとえば、ローマ書16章に出てくるユニア(ユニアス)は女性で、使徒で、使徒たちの中でも活躍していた、と考える人もいる。
キリスト教は4世紀にローマ帝国の公認を得、その後帝国の国教となったが、もし教会がローマ帝国の権力構造を模した組織化によって教勢を拡大させる道を選ばなければ、教会における女性の位置づけはかなり違ったものとなっていたことだろう。
過去には、男性でなければ女性であり、女性でなければ男性であると考えられてきた。しかし、現代においては、トランスジェンダーの存在も明らかになり、男女をはっきり分けられなくなっている。医学も含めて科学が進み、未知の分野が明らかになってゆく中、過去の認識において決められた方針は、再検討が必要ではないのか。
3.新旧両派へ望むこと
ルターやカルヴァンの主張は、彼らが生きた時代の状況の中で語られた言葉である。時代の状況が違えば、彼らはまた違う発言をしたかもしれない。
「信仰の論拠は聖書のみ」とする見解をイエスの言葉と同列に置くべきではないし、普遍の真理と見なすべきでもない。それは、時代の状況の中で語られた言葉なのだ。
また、カトリック教会における公会議の公文書も、その時代の表現である。時代の状況が違えば違う表現となったことだろう。
新旧両派とも、過去に出した見解を、その時代の状況の中で表明されたものだと認識した上で相手と対話するべきだろう。
どこまでも、過去の見解の文字づらに固執し続けるなら、百年経っても千年経っても歩み寄りはなく、教会再一致など永遠にないだろう。
(伊藤一滴)
※以下、日本語版ウィキペディア「地球平面説」の項の「インターネット時代の地球平面説」より引用(2021年12月閲覧)
引用開始
インターネットの普及によって個人が自由に情報発信できるようになると、陰謀論者やキリスト教原理主義者の間で権威的な科学を「世界的な陰謀」として否定する議論の中で地球平面説が語られるようになった。(略)
YouTubeでは2019年1月に地球平面説に関するコンテンツを「ユーザーに誤った情報を与えかねないコンテンツ」として、推奨対象から除外していく方針を明らかにしている。
引用終了
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