聖書信仰?
アメリカでトランプ氏が大統領になった頃から、日本でも、福音派が話題になることが増えた。
そして、福音派という言葉が、否定的な意味で使われることが多くなった。それを気にしてなのか、福音派が自分たちのことをを聖書信仰と呼ぶことが多くなったように思う。
「福音派の多くがトランプ支持」、「Qアノンを信じる福音派がいる」、「トランプ氏は福音派の支持を得たいからイスラエル寄り」、「福音派は超保守派、原理主義、狂信的」・・・・、といった報道がなされてきた。一般のマスコミにおいて、負のイメージで語られることが多かった。
日本においても、福音派全体がそうだというのではないが、福音派と名乗る一部の人たちの不祥事や問題行動、ネット上での問題のある発言等々が、福音派全体のイメージを悪くしている。
(ネット上で、自分を福音派のクリスチャンと名乗り、問題のある発言を繰り返す人たちがいるが、彼らは本当に福音派なのか? それとも、福音派が大嫌いで、福音派のイメージを低下させることが目的で、福音派の信者になりすまして盛んに発言しているのか? どっちなのか、私には分からない。)
長男(大学生)が言っていた。
「福音派の中にとんでもない人たちがいるから、福音と聞いただけでも悪い感じがする。福音書まで、福音派の書みたいに聞こえて、悪い書みたいな感じがする」
長男が通う大学内やその周辺にも、とんでもない「福音派」たちがいるようだ。
福音派という言葉のイメージの悪化で、なるべく自分たちを福音派と言わず、聖書信仰と言い換えても、福音派は福音派だし、自称「福音派」は自称「福音派」だ。
聖書信仰?
聖書信仰という言葉は、戦前から使われているようだが、私は、かなり、違和感がある。
「私たちは正しい聖書信仰に立つ正統的プロテスタントです。福音主義のクリスチャンです」
えっ? 聖書信仰って?
聖書を信仰するの?
神を信仰するのではなく、聖書を信仰?
信仰の対象は聖書?
中身ではなく器(うつわ)を信仰しているような印象を受ける。そして、実際、そういう人たちがいる。
二言目には「聖書に書いてあるから」。
聖書に書いてあるかどうかではなく、イエスが何を伝えようとしたのかが大事なのではないか。
「聖書に書いてある」って? そんなの、解釈次第でどうとでも言える。
書いてあっても書いてなくても、是は是であり非は非だ。
聖書に書いてある、書いてあるって、あなた方はファリサイ(パリサイ)の徒か?
聖書信仰と称し、聖書という本を信仰する。紙に刷られた文字を信仰する。
神に対する信仰というより、紙で出来たものへの信仰。しかも特定の翻訳や注解しか使わない。
それは偶像崇拝の一種だろう。
福音派の中には尊敬すべきクリスチャンも多数おられ、私もお世話になってきた。
だから、福音派全体がそうだなんて言わないが、自称「福音派」が、自称「聖書信仰」と言葉を替えても中身は変わらない。
(伊藤一滴)
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