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「ばべるばいぶる」こと真理子さんのこと

真理子さんが何者か、私は知りませんでした。

亡くなったことも知りませんでした。

新約ギリシア語を独習する中で、ギリシア文字をどう書くか、筆順が気になっていました。筆順の書いてある本もありますが、どうも、ギリシア語を母語としない人(日本人も含めて)が考えた筆順のように思えてなりませんでした。

グーグルを使って「ギリシア文字 筆順」と検索したら、真っ先に出てきたのが、真理子さんのホームページの次の箇所でした。

http://www.babelbible.net/lang/lang.cgi?doc=gr_scrpt&lang=gr

真理子さんはおっしゃいます。

引用開始

 ギリシア文字の筆順は本当に人それぞれで、ギリシア国内でも統一がとれていないようです。私たち日本人が筆順を気にしすぎるのだと思います。しかし小学校での偏執狂的筆順教育の後遺症が抜けない人が多く、いくら真理子が「どう書いてもかまわない」と言っても、「でもやっぱり正しい書き方があるんでしょう? 人前で間違えて書いたら恥ずかしい」などと質問してくる愚か者が後を絶たないので、防虫対策、ストーカー対策で不本意ながらこのようなページを作っておきました。ここにあげたものはほんの一例であり、他の筆順を排除するものではありません。(以下略)

引用終了

このページのおかげで、ギリシア国内でも統一がとれていないようだというギリシア文字の筆順の「ほんの一例」を知ることができました。

他にも、聖書をどう読むか、どう学ぶべきかと考えさせられる点がたくさんありました。

真理子さんのホームページのトップはこちらで、

http://www.babelbible.net/mariko/mariko.cgi?imode=0

これをご覧になればわかるとおり壮大な計画があったようで、一部は未完のまま、真理子さんは逝去されました。

本当のお名前はあとから知ったのですが、植田真理子さんという方で、どこでどういう学びをされたのかは存じませんが、新約ギリシア語を含む多言語、そしてこれまでの聖書の日本語訳に、広い知識をお持ちの方です。圧倒されるような語学力です。

神田盾夫先生の『新約聖書ギリシャ語入門』(岩波書店、絶版)には、練習問題の解答がついていないので、ネットのどこかに解答がないか探しました。そしたら、また真理子さんのページに来ました。真理子さんは神田先生の著書の解答例をご自分で作って掲載するつもりだったようです。これは未掲載のまま、真理子さんは亡くなりました。あまりにも壮大な聖書学習計画とこれまで刊行された聖書翻訳の電子化で、他にもいろいろ未完の箇所もありますが、それを差し引いても優れたホームページだと思います。こんな膨大なものを、無償で作ったというのもすごいことです。(どなたか新約ギリシア語に詳しい方、神田先生の本の解答例を公表していただけませんか。あるいは岩波書店さん、解答付きの増補版を出してくれませんか。岩波さんは高価な新約聖書(しかも変な訳)など出さなくていいから、こっちを出してほしい。※)

(※ 今日、アマゾンを見て知ったのですが、最近オンデマンド版の神田盾夫著『新約聖書ギリシャ語入門』が復刊されたそうです。実物を見ていないので、かつての全書版と大きさや字がまったく同じかどうか、解答がどうなっているのかもわかりません。とり急ぎここに付記します。)

真理子さんのホームページは壮大ですが、個人のホームページですから、亡くなった本人がまさか「私は死にました」と書くはずもなく、私は真理子さんが亡くなっていることを知らずにホームページを見続けていました。

真理子さんはいわゆる性的少数者であり、そのために差別的な目にあうなど、ご苦労も多かったろうと思います。でも、苦労した話より、真理子さんの文章からは、他者へのおおらかさ、寛容さが伝わってきます。私は、キリスト教界の一部にみられる偏狭・不寛容を知っていますから、真理子さんの文章を読むと救われる思いでした。

前回聖書を引用した時に、下記を使いました。

http://bible.salterrae.net/

こういうものがあることを数年前に知ったのですが、過去の日本語訳聖書から引用するのに実に便利です。製作者様に感謝申し上げます。

この「bible.salterrae.net」を使っていると、古い訳に「ばべるばいぶる様のデータを使用しました」と書いてあり、ああ、あの真理子さんだと思って調べて、彼女が2015年3月に亡くなっていたことを知りました。

私は、「死とは消滅ではなく、別な状態への移行だ」と思っています。だから、私がお世話になった方や親しくしていた方が亡くなっても、私にとってそれは永遠の別れとか絶望的な悲しみではなく、「しばしの別れ」に過ぎません。それさえ、しばしの間、直接その人のメッセージが聞けなくなるというだけのことで、向こうの世界の人たちにはこっちが見えたり聞こえたりしているのかもしれないと思うこともあります(想像です、オカルトや変な宗教じゃありませんよ)。

だから、良心に従って生きた人の死を嘆く必要はないのですが、それでも私は、「植田真理子さんのご逝去を悼み、謹んで哀悼の意を表します」と言いたいのです。

なお、真理子さんが亡くなる直前まで発信しておられたご本人の言葉がここで読めます。

https://twitter.com/marikobabel

(真理子さんは2015年3月15日に逝去されました。当然ですが、それ以後の発言は当人のものではありません。)

(伊藤一滴)

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