どう違う、キリスト教の「福音派」と「原理主義」
キリスト教の「福音派」と「原理主義」はどう違うのか、についての私見です。
現代において広く使われる意味で「福音派」と呼ばれるのは、聖書66巻のみを唯一の信仰の論拠とし、聖書は神の霊感によって書かれた誤りのない神の言葉であるとし、聖書の記述を文字通りに信じようとする立場です。福音派というのは、ルター派・カルヴァン派・英国教会・・・・といった歴史的な沿革による分類ではありません。福音派の中には系統の異なる教会もあり、教派というより主義といった方がいいようです(「福音主義」と呼ばれることもあります)。
では、その主義は、キリスト教の「原理主義」(根本主義、ファンダメンタリズム)とどう違うのか?
両者を同一視して「福音派」と呼ぶ人もいます。また、原理主義者らしき人たちが、自らを「福音派」(あるいは「福音主義」「正統プロテスタント」等)と称していることもあります。
前に書いた通り、私は1983年に山形県内の高校を卒業し、宮城県仙台市で浪人生活をしていました。誰も知り合いのいない土地で、予備校の寮で暮らしていました。その頃、寮の近くの教会に時々出かけ、牧師さんのお話を伺うことがありました。福音派の教会でした。福音派と知ってそこに行ったのではなくて、ただ、近いから行ってみたのでした。牧師さんは高齢の方でした。私の話をよく聞いてくださり、いろいろ教えてくださいました。温和な人で、本当にいい人でした。聖書について、学問的なことはあまり語らず、ただ、生きてゆく姿勢のようなものを教えてくださり、私のために真剣に祈ってくださいました。私にとって人生の師の一人とも言える人です。本当にいい人でした。
その前に、まだ山形県内の高校にいた頃、家から行ける距離にある「キリスト教会」で話を聞いたりもしたのですが、まるで話が噛み合いませんでした。それは、「聖書を文字通り正しく信じる」と称する、排他的、独善的、不寛容、攻撃的な人たちでした。それも前に書いた通りです。彼らも福音派と称していました。
両者は同じ福音派でしょうか。
たった2つの教会を見ただけで全体を語るなと言われそうですが、その後私は大学生になり社会人になり、さまざまなクリスチャンに接しました。そして、10代のときに出会ったこの2つの福音派がまさに、福音派を代表する2つの顔だと思うようになりました。
「穏健な福音派」と、「極端な福音派」(原理主義)です。
両者は、白黒はっきり2つに分かれているわけではありませんが、傾向として、この2つがあるようです。部分的に混じっていたり、中間的な部分もあるでしょう。両者の教義や神学はほとんど変わらないようですが、人に対する態度が違います。「穏健な福音派」は、プロテスタント主流派ともカトリックとも対話のできる人たちです。彼らには、他者に対し愛をもって接する誠実さを感じます。「極端な福音派」は、自分たちの外の世界はサタンの支配下にあると考えているようで、相手を自分たちの仲間に引きずり込もうとするか、あるいは排撃するかです。それが彼らにとっての「福音伝道」であり、他者への「愛」なのでしょうけれど、私に言わせれば全く思い違いをしています。一種の原理主義であり、カルトに近いとも言えます。
「原理主義と呼ばれるのは侮辱だ、われわれは原理主義とは沿革が違う」と反論されそうですが、沿革が違っても、思考や発想や行動がほとんど同じなので、やはり、原理主義と同じとみていいと思います。
宗教改革の時代は、まだ科学が未発達でした。だから、科学と信仰の板挟みというのは、あまりなかったろうと思います。19世紀になって科学が進み、自然科学だけでなく、歴史や文化にも科学的な検討がなされるようになりました。さまざまなことがわかってきて、聖書も古代の文献として研究が進みました。聖書に書いてあることが、そのまま歴史的(あるいは科学的)事実でないこともわかってきました。そうした中、信仰が脅かされるのではないかと感じて合理的な解釈で信仰を守ろうとした人たちもいましたし、科学的な検討を拒絶して聖書に書いてあることを書いてある通りに信じようとする人たちもいました。後者が、20世紀初頭のアメリカにおけるファンダメンタリズム(キリスト教原理主義)の運動になっていきます。これが極端化し、ついて行けなくなった人たちが、新福音主義の流れを興します。戦後、日本に伝えられた福音派は、主にこの新福音主義の流れです。これが、「新」をつけずに単に「福音主義」と言われるようになり、伝統的に使われてきた本来の意味での福音主義(=聖書中心主義、プロテスタント)と同じ言葉になりました。悪く解釈すれば、ルターの福音主義という意味と故意に混同させているという見方も可能です。もう少し善意に解釈すれば、自分たちは正しい福音主義の伝統に立つという自負があるのかもしれません。なお、日本では、戦前からあった教会の中に福音派の考えを受け入れた教会もありますから、日本の福音派はみな戦後につくられた教会というわけではありません。
本家アメリカの原理主義は極端化して力を失っていきましたが、福音派の中に、かつての原理主義を思わせる極端な人たちがあらわれました。これが、私が言う意味での「極端な福音派」です。それは、20世紀初頭の原理主義とは沿革が違いますが、思考や発想や行動が実によく似ているので、私は一種の原理主義とみなしています。彼らも、自分たちを福音派と称しているので、一見、「穏健な福音派」と区別がつかないのです。
上記が、私が思う「福音派」と「原理主義」の違いです。
(伊藤一滴)
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