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歴史的限界を眼前にして

東京で暮らしたり、地方都市で暮らしたりしてきた私は、10年ほど前に山形県の山間部の古民家に移り住みました。

「ジネント山里記」を始めた頃は、ただ、山里の古民家で暮らす中で、日々感じることを書くつもりでした。消費を中心とした街の喧騒から逃れ、大自然の中で、近隣の人たちとかかわりながら生きていきたいと思っていました。労働や、読書や、思索、そして祈りの日々をおくりながら、その中で感じたことを紹介するつもりでした。

政治的なことを書くつもりは、まったくありませんでした。

あれから、日本の政治は著しく劣化しました。世の中は、目先のことばかり考え、自分本位がまかり通るようになりました。

一つは、消費し続けないと続かない資本主義というシステムの歴史的限界が近づいているのだろうと思います。そして、この資本主義というものが持つ営利追求を最優先するしくみが、人々の思考に滲みてきて、多くの人がこれに染まってしまったのではないか、と思えます。

どうすれば、もうかるか。それは、損か、得か。

しかも、目先のことです。長期的な未来を考えていない。

だから、子どもを産むのは損だ、とか、株価が上がっているのだからあの党を応援しよう、となる。

子どもがいる人なら、どの学校にやるのが得か、どういう勉強をさせるのが得か、どういうスポーツをさせるのが得か、どこに就職すれば得か、誰と結婚すれば得か・・・・、と、みな損得の話になる。

どうすれば、みんなが幸せに生きていけるかではなくて、どうすれば自分たちが得をするのかが判断の基準になってしまっている。損得勘定の果てに、幸せを犠牲にしても利益や効率を求めてしまう。ひっくり返っているのです。

私は、資本主義の毒がまわってきた、と思います。そしてこの資本主義はもう末期的です。消費し続けないと続かないシステムなのに、もう消費は限界に近いのですから。

利益と幸福は正比例ではありません。幸福に生きることを優先した方がいい。

人から奪ったり、相手を倒したりしても幸せにはなれません。

経済発展の幻想から抜け出したほうがいいのです。

(伊藤一滴)

「新語法(ニュースピーク)解説」をバージョンアップしました。よろしければご覧ください。http://yamazato.ic-blog.jp/home/2015/06/post-d120.html

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