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田中耕太郎

福岡県弁護士会のホームページに「弁護士会の読書」という欄がある。

そこに、田中耕太郎に反論した三淵嘉子のことが書いてあり、興味深く読ませていただいた。

2024年2月14日付けで、記事をお書きになったのは弁護士の霧山昴氏。
清永 聡著『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社)という本の紹介記事だ。

私は、清永聡氏の著書は未読であるが、霧山昴氏による紹介記事は大変興味深いので、引用して紹介したい。

出典:https://www.fben.jp/bookcolumn/2024/02/post_7475.php
「※本欄の記述はあくまで会員の個人的意見です。」とある。


引用開始

 この春にスタートする朝ドラの主人公は、なんと女性裁判官だそうです。
 日本に初めて女性弁護士が登場することになったのは1938(昭和13)年のこと。3人の女性が司法試験(高等文官司法科試験)に合格したのです。もちろんビッグニュースになりました。
 司法科試験に女性も受験できるようになったのは1936(昭和11)年のことで、19人が受験したものの合格者はなく、翌1937年には女性1人が筆記試験に合格したけれど口述試験で不合格になりました。
 1938年に合格した女性3人は、武藤(のちの三渕)嘉子、中田正子そして久米愛。
 そもそも、女性には戦前、参政権が認められていませんでした。そして、大学にも女性は入れず、東京では明治大学だけが1929(昭和4)年に女性の入学を認めた。ただし、定員300人のところ、実際には50人しか入学者がいなくて、それも卒業時には20人ほどに減っていた。それだけ厳しかったのでしょうね。
 嘉子は修習を終えて第二東京弁護士会に登録して弁護士生活を始めた。そして結婚し、長男を出産。ところが、夫は兵隊にとられ、中国に出征していたところ病気にかかって、日本に帰国したものの、長崎の病院で死亡してしまった。
 戦後、嘉子は裁判官になることを考え、司法省へ出向いて「裁判官採用願」を提出した。しかし、裁判官ではなく、司法省嘱託として採用され、民事局さらに家庭局で働いた。
 あるとき、最高裁長官を囲む座談会が開かれ、ときの田中耕太郎長官が次のように発言した。
 「女性の裁判官は、女性本来の特性から見て家庭裁判所裁判官がふさわしい」
 嘉子は、直ちに反論した。
 「家裁の裁判官の適性があるかどうかは個人の特性によるもので、男女の別で決められるものではない」
 まさにそのとおりです。この田中耕太郎という男は軽蔑するしかない奴ですから、私は絶対に呼び捨てします。なにしろ実質的な訴訟当事者であるアメリカの大使に最高裁での評議の秘密を漏らし、その指示を受けて動いていたのですから、最悪・最低の人間です。ところが、先日、東京地裁の裁判官が、それをたいした悪いことではないと免罪する判決を書きました。あまりに情なく、涙が出ます(これは砂川事件の最高裁判決の裏話です)。
そして、嘉子は後輩の女性裁判官の悪しき先例にならないよう、あえて家裁ではなく、地裁の裁判官になりました。すごいことです。
 嘉子は、原爆裁判に関わりました。その判決文には、「原子爆弾による爆撃は無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて、違法な戦闘行為であると解するのが相当」とあります。原爆投下は国際法に反する違法なものと裁判所が明快に断罪したのです。1963(昭和38)年12月7日の判決です。
 嘉子は1972(昭和47)年6月、新潟家庭裁判所の所長に就任。日本で初の女性裁判所長。1979(昭和54)年11月に定年退官したときは横浜家庭裁判所の所長だった。
 嘉子が「女性初」という肩書をつけながらも、重責に負けることなく立派にその使命をまっとうしたことがよく分かりました。
 今では、日本の司法界における女性の比率はかなり向上しています。日弁連も、この4月には初めての女性会長が実現することになりそうです。最近では、JAL(日本航空)の社長、そして日本共産党の委員長も女性です。首相も早く女性首相になればいいと考えていますが...。
(2023年12月刊。1200円+税)

引用終了


以下は私(一滴)の文章。
歴史的な人物については敬称略。

朝ドラ「虎に翼」の寅ちゃんのモデル三淵嘉子は困難な時代の状況の中で大変な努力をなさった方であり、その業績は大きい。日本の偉人の一人であることは言うまでもない。だが私は、田中耕太郎のことも、かばいたくなる。

田中耕太郎は東京帝国大学で法学を学び、在学中に高等文官試験(当時の高級官僚採用試験)行政科を受けて首席で合格している。また、東大法科も首席で卒業している。塚本虎二に学び、内村鑑三の影響を受け、無教会キリスト者となるが、後にカトリックに改宗している。
キリスト教的な視点から国家や法の必要性を考察し、特にカトリックが言う自然法を意識し、法理の論考を続けた。法学者であるだけでなく、キリスト教思想家の一人とも言える。(今では「忘れられたキリスト教思想家」であるが。)

戦前、東京帝国大学教授、そして法学部長を務め、戦後は文部省学校教育局長、文部大臣も務めた(文部大臣就任時は議員ではなかった)。我々は日本国憲法の大臣署名の欄に「文部大臣 田中耕太郎」の名を見る。その後、国会議員となり、議員辞職後に最高裁判所長官となっている。

この田中耕太郎が、ただの差別者、ただの馬鹿なんだろうか?

学力はうんと高いが馬鹿みたいな人も世にはいる。そういう人は、筆記試験では高い点数を取るが世の中では使い物にならない。田中耕太郎はキリスト教について真剣に考え、信仰を受け入れた人で、世の要職を歴任し、日本国憲法や教育基本法の制定にもかかわった人だ。私は、彼が最悪・最低の人間だとは思えない。


女性差別的な発言は時代の制約もあるのだろう。国立大学は原則男子のみ、主な私立大学も男子のみという時代に学んだ人なのだ。

私は1970~80年代に中学・高校で学んだが、その当時でさえ家庭科は女子のみだった。女は家のことをやっていればよいという風潮が、その頃でもまだあった。まして戦前~戦後間もない頃など、「女は家庭」という意識はずっと強かったろう。田中耕太郎ほどの人であっても、時代の制約の中で生きた人なのだ。
しかも、彼はカトリック教徒だ。カトリック司祭は男性のみだから、教皇はもちろん聖職者はみな男性だ。カトリック教会の公式な意思決定はすべて男性による。これは、今でもそうだ。
カトリックでなくとも、聖書そのものに男性中心主義の記述が見られる。プロテスタントも含め、キリスト教は男性中心主義で続いてきたのだ。

もちろん私は「家裁の裁判官の適性があるかどうかは個人の特性によるもので、男女の別で決められるものではない」と言った三淵嘉子に賛成だ。今は、こっちの見解が大多数に支持されるだろう。この点に関しては、時代とはいえ、田中耕太郎は間違った認識を持っていた。


砂川事件が最高裁で審議されたときの裁判長が、この田中耕太郎だ。田中は裁判の進み具合や判決の見通しを駐日アメリカ大使にしゃべった。田中耕太郎は「忘れられたキリスト教思想家」だが、この件で、とんでもない裁判長として今もその名が記憶されている。
これも、ちょっと、かばいたい。田中耕太郎が、その発言がどうなるかを考えずにしゃべる口の軽い馬鹿タレだったとは思えない。これはよくよく考えての、田中の作戦だったのではないかと思うのだ。

時代は岸信介の内閣だった。日米両政府とも「アメリカ軍が日本に駐留するのは合憲」とする最高裁判決を期待していたことだろう。安保反対運動の鎮圧に自衛隊を出すことさえ考えていた岸信介のことだから、何をするかわからない。「アメリカ軍の駐留は合憲」という判決を出すよう、あらゆる手を使い、裁判に介入してくる可能性だってあった。

田中耕太郎がアメリカ大使と「内密の話し合い」をしていることは、岸信介の耳にも入ったろう。岸に、「田中はアメリカとつながっている、下手に介入するとやっかいなことになる」と思わせ、裁判への介入を防いだのではなかったのか。

最高裁は、高度の政治性を有する問題は司法判断になじまないとし、憲法判断を避け、米軍駐留を合憲とは言わなかった。日米両政府が期待していたであろう合憲のお墨付きは出なかった。いわゆる統治行為論だ。

(田中耕太郎最高裁判所長官の言動は)「公平さに疑念を抱かせる恐れがあり不適切だったが、被害者的立場の米国に手続きの説明や見通しを述べるにとどまり、裁判の公平性に影響する性質だったとまでは言えない」(2025年1月31日、東京高裁、後藤健裁判長)。

田中耕太郎は「公平さに疑念を抱かせる恐れがあり不適切」な手段を、やむを得ず用いて、岸信介が裁判に介入してくるのを防いだのではなかったのか。そうやって、やり方は「不適切」でも、司法の独立を守るために、自分が泥をかぶったのではなかったのか。田中は抜群に頭が良かった。駐日アメリカ大使に裁判のことを話したのは、つい口が滑ったとかではなく、どこまでなら話せるか、その結果どうなるか、みな考えた上ではなかったのか。そのことで、自分が後々まで非難されることも、みな覚悟の上だったのではなかったのか。

クリスチャン田中耕太郎の信仰と生涯から、私はそのように想像する。

(伊藤一滴)

※上記はあくまで私の個人的意見です。


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ジネント山里記 site:ic-blog.jp(検索)

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過去に書いたものは、こちらからも読めます。
http://yamazato.ic-blog.jp/home/archives.html

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