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イスラム過激派の「テロ」に思う

どのような理由であれ、人を襲って殺傷することを、私は肯定しないし、容認もしません。殺された人たちを悼み、傷ついた人たちの回復を祈るばかりです。

しかし、私は報道に違和感を覚えます。「風刺」によって宗教を侮辱されたと感じる側はどうなのでしょう。宗教そのものを侮辱するかのような表現も、表現の自由・言論の自由なのでしょうか。

私は、風刺とは、多くの場合、間接的に、社会や巨大組織や権力者などの愚行を指摘し、出来ればそのようなあり方・やり方を阻止したい、改めさせたいという意図を持って、皮肉を込めて笑い飛ばすような、文化的表現だろうと思います。(私もそうした風刺に賛成ですから、紅白を見ながらサザンオールスターズの歌に拍手喝采したのです。)

イスラム過激派の組織は、武装組織であり、当然、風刺の対象になるし、彼らを風刺することに対し、どうこう言うつもりはありません。しかし、ムハンマドを侮辱したと受け取られるような「作品」を、風刺と呼べるのでしょうか。イスラム信者の大多数は穏健に平和的に生きています。宗派・教派を問わずイスラムの人々が崇敬するムハンマドを侮辱するような作品は、社会の風潮や権力者に表現で立ち向かう風刺とはちょっと違うように思います。

私は、日本の葬式仏教を厳しく非難することもありますが、お釈迦様を侮辱したりはしません。キリスト教原理主義者(ファンダメンタリスト)に対してもかなり厳しいことを言いますが、イエス・キリストを侮辱したりはしません。もちろん、ムハンマドを侮辱したこともありません。

その宗教そのものと、その宗教内部の歪みとを、はっきり分けて考えるべきです。内部の歪んだ考えを批判するときに、その全体を侮辱するような表現は、やはり、よくないと思うのです。

私が心配していたとおり、フランスや、各地で、イスラム教徒への襲撃事件や嫌がらせが起きています。「過激派」と「穏健な信者」は別です。ごちゃ混ぜにしないでほしい。過激派とされる人たちだって、多くの場合、追い詰められた結果そうなったのでしょう。絶望的に思える貧富の差や、差別があったのかもしれません。どうして武器を取るまで追い詰められたのか、それを思うと悲しくなります。

どうか、無理解から来る不寛容と不寛容とをぶつけ合わないでほしい、そう願わずにはいられません。

(伊藤一滴)

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