効果的な英語学習
効果的な英語学習の話です。
「是は是、非は非」と今後も言い続けますが、質問に答えない人のことをいつまでも書き続けても仕方ないので話題を変えます。彼らの主張は明らかに誤謬です。だから、国民の側の意識が変われば失脚するでしょう。歴史の評価に耐える普遍的価値観など、彼らには初めからないのですから。
英語の学習について、もう少し書きます。
私はなぜ英語学習に苦労したのか、学生の頃、努力の割に身につかなかったのはなぜなのか。 それは、学習の方法を間違えていたからですが、以下は誰かを責めるのではなく、自分を振り返って思うことです。
難解な英文に挑み、分からない単語は一つひとつ辞書を引き、意味の取れない文章は、文法書や参考書で徹底的に調べるのが良い英語学習だと思っていました。今思えば、これは、労力が大きい割には成果が上がらず、非常に効率の悪い学習法でした。
単語カードを作ったり、単語集を買ってきたりして単語を丸暗記しました。それは、その単語の持つ意味の一部だけを日本語に置き換える行為であり、その英単語そのものの概念を文脈の中で理解することではありませんでした。文脈と無関係に単語だけ覚えようとするのは、労力が大きい割にはあまり役立たない勉強法でした。
単語の暗記(実は単語の意味の一部の日本語化の暗記)を続けても、なかなか英語が読めるようにならず、それは文法の知識の不足だと思い、文法を丸暗記しようとしました。もちろん、これも駄目でした。そんな労力や時間があるなら、なるべく読みやすい英語の本から順に読むべきでした。小さな子ども向けの本でよいから、物語などを、1冊、2冊、3冊・・・と、読み進めていくべきだったのです。英文そのものを読む量が少なくては英語は身につかないのだと気づいたのはあとになってからです。英米の幼稚園児や小学校低学年向けの英語の本から始めてよかったのです。そんな低い水準のものを読みたくないと馬鹿にする人もいるかもしれませんが、我々は英語が母語ではないのですから何も恥じることはないのです。私は、後に、絵本や児童書から多くを学びました。
学生の頃、英語を英語として読むのではなく、頭の中で日本語に置き換えていました。自然な日本語になるよう頭の中で置き換えていたのです。置き換えが速くなれば、英語がスラスラ読めるようになると思い違いしていました。実際は、置き換えが必要なのは通訳や翻訳をする人だけで、単に英文を読んで理解するのなら、英語を英語として読めばよかったのです。いちいち日本語に置き換えていたのでは読むのが遅くなるし、話についていけなくなります。
私の中学~大学の頃なんて、手探りの英語学習の時代でした。私が習った英語の先生たちだって、戦時中や戦後間もない頃を生きた人たちで、本当に分かっている先生はそう多くなかったのではないかと思います。なにせ時代が時代でしたから、彼らを責めることもできません。私の知る限り、効果的な学習法などどこにも書いてなかったし誰も言わなかったので、みんな手探りでした。日本のどこかでは、言っている人がいたのかもしれませんが、そんな話は広まっていませんでした。仮に「英語の本をたくさん読むべきだ」と知っていたとしても、1970~80年代の学生が、英米の本をたくさん買ったり借りたりするのは、よほど恵まれた人でないと無理だったろうと思います。今のように、インターネット通販で洋書が買える時代ではありませんでした。しかも当時は円高が進みつつあったのに、洋書に限っては1ドル360円でした。アメリカで3ドル程度の本が日本で約千円では、日本では簡単に買えませんでした。
とにかく英語を学ぶためには英語の本をたくさん読むことだと自分で気づいたのは大学を卒業してからでした。辞書や文法書は必要ないとは言いません(必要です!)。しかし、最も効果的な学習法は、英語文化圏で使われる英語そのものから英語を学ぶことだと思います。
中学や高校で出される英語の練習問題などは、自分の英語の力をチェックするのには役立つでしょうが、練習問題をたくさん解けば英語の力がつくというものではないです。数学の練習問題とは違います。国語もそうですが、言葉を学ぶというのは、連続する言葉に浸ることであり、たくさん本を読むのが効果的な語学学習だと思います。関連のない、切れ切れの文章が出てくる参考書やドリルでの学習も、私は、おすすめしません。
それと、時々耳で聴く、というのも必要でしょう。できれば会話の相手がいるとよいのですが、山里暮らしの私はラジオを聞いています。夜の Enjoy Simple English を聴くために早めにNHKラジオ第2放送のスイッチを入れると、英会話タイムトライアルをやってます。なんとなく聞いていたらおもしろくて、このテキストも買ってきました。英会話タイムトライアルを聴くためにもっと早めにラジオのスイッチを入れると、ラジオ英会話をやってます。これもなんとなく聞いているうちに聴くようになりました。
楽しみながら聴いているのですから、趣味です。そう、趣味。学生の頃に感じた「苦行」ではありません。やり方さえ間違えなければ、言葉を学ぶのは苦行ではないです。
(伊藤一滴)
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