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オール電化住宅総批判

オール電化住宅の問題点について、今まで、私はほぼ言いたいことを言いました。
今になって言い出したわけではありません。

以前、次のようなことを書きました。
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2008/03/post-04e1.html
実際、宮城沖を震源とするこのたびの大震災(通称が一定していませんが)で、大規模な停電が起きました。東京電力管内では計画停電も行なわれています。なんだか、「予言」みたいになりました。

また、こんなことも書きました。
http://yamazato.ic-blog.jp/home/2009/02/post-3dd7.html
このときは、講習会でさんざんオール電化礼讃を聞かされたあとで、うんざりしていたし、腹も立っていました。それは講師個人にではなく、講師にオール電化を讃美させる「力」、講師がそう言わざるを得ない状況になる「力」に対してです。「カラスは白い」みたいな説明のあとに、何を質問しても、立場上「党中央の公式見解」のような回答しか出来ない講師が気の毒に思えるくらいでした。
私がどう言ってもこの「力」にはかなわないのかと思い、うんざりと腹立ちとで冷静さを欠く表現も見られますが、言いたいことは今も変わりません。
みな、あのとき書いた通りです。
オール電化住宅について、次のような批判はよく見かけます。災害時の不安、IH調理器による電磁波被曝の不安、電力供給のための原子力発電の不安などです。
しかし、オール電化住宅の問題を、「日本の住宅の文化の問題」として、また、「予想される身体および精神への悪影響」について、さらに、「なぜ問題点が多いのにオール電化住宅が推奨されるのか、その資本主義経済上の位置づけ」について、みんなあまり言わないから、思っていることを書いてみたのです。

もう一つ補足すれば、「ひとまずオール電化で建てて、あとから状況が変わればその時にガス器具や石油コンロを入れればよい」という考えは誤りです。
電気だけで暖房するためには、極端な高気密・高断熱が必要となります。そのため、最初から全てオール電化仕様で設計されているのです。そうした住宅の中でガスや石油を使えば、不完全燃焼による酸欠・一酸化炭素中毒などの恐れがあります。必ず窓を開ければともかく、万一窓を開け忘れて火を使えば大変危険なことになります。また、防火面でも、そもそも火を使わない前提で設計されているので、火気使用室に求められる内装制限(燃えにくい内装)や火気用の換気の確保等が行なわれていません。
「あとからガス器具や石油コンロを」では駄目なのです。どうしてもと言うのであれば多額の費用をかけての大改造になります。

ちなみに私自身は、なつかしさを感じるような伝統的な日本家屋こそ、日本における理想住宅だと考えています。それも、富農や豪商の家ではなく、田舎の庶民の家が特に合理的に感じられます。人に見せて威張る必要もなかったわけで、質実剛健、実用本位ですが、そういものが真に美しいしい居心地がよく住みやすいと思うのです。
だいだい、先祖から受け継がれてきた長い経験の蓄積を、新案や新素材で簡単に乗り越えられるはずなどないのです。

今後ハウスメーカー各社は一気に「耐震住宅」と言い出すでしょうが、資本が利潤のために作り出すイメージに流されず、耐震性の確保も含め、先祖から受け継がれてきた長い経験の蓄積をふまえた上で検討すべきだと思います。
(伊藤一滴)

コメント

このたびの原発事故と一連の不測の事態をみていると、日本は、現代人は、本当に無力になってしまったなあ・・・と感じます。
自分の手で御す、作り出す、メインテナンスできる範囲の人生を生きることを、忘れてしまったのですね。オール電化というスマートな暮らしは、いったん破たんすれば、もう人の力ではどうすることもできないシステムのもとに、展開されていた商品だったのだと、嫌というほど思い知らされた感があります。
今回のことで、巨大なシステムの持つ弱点、進化と思って信じてきたものの盲点というものを、思い知らされました。身の程知らず、というと大げさですが、人間の手に余る物事を支配していると思い込む、傲慢や無知ほど愚かなことはないですね・・・。想定外の出来事に、科学技術がこれほど無力だとは、国民のどれほどの人が予想していたでしょうか。

「人為(特に科学の力)で自然をコントロールできる」とか「人為で自然をコントロールしたほうがより良くなる」といった考えは、限界を忘れた人間の驕りだと思います。
人間が暮らす上で、みな自然状態そのままというわけにはいかなくとも、「人為」はなるべく地元で、手作業で、小規模に行ない、可能な限り自然との調和の中に生きるのが望ましく、また幸せな生き方ではないかと思えてなりません。グローバリズム、画一化、大規模化、開発や経済成長の反対で、ローカリズム、地方色の維持、小規模化、環境と生活の持続です。
(伊藤一滴)

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