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「雨にもあたらず」決定稿

「雨にもあたらず」
雨にもあたらず 風にもあたらず
雪にも夏の暑さにもあたらないで 全館冷暖房の家に住み
丈夫な体のはずもなく
欲ばりで
決して人のことなど考えず
いつも不平を並べている
一日にコーラ四リットルと 栄養ドリンクと相当のサプリメントは飲むが
味噌と野菜はほとんど食べず 「サプリメントを飲んでるから大丈夫だよ」と言い
あらゆることを
自分のことだけ勘定に入れ
都合の悪いことは見もせず聞きもせず分かりもせず
そして覚えもせず
野原の松の林をつぶして造成された新興住宅地の
ベニヤ合板と合成樹脂で密閉された「快適な」人工環境の中にいて
東に病気の子どもがいても無関心
西に疲れた母がいても無関心
南に死にそうな人がいても無関心
北にケンカや訴訟があっても無関心
日照りの時も 寒さの夏も
「うちは冷暖房完備だし 外国産の食料を食べるから関係ないや」と言い
みんなに「あの人は(あるいはあの人の旦那さんは、息子さんは)たいしたものだ」と言われたい
ほめられたい 注目されたい
そういう人に
あなたもなりたい?

以前書いたパロディーを推敲した「決定稿」です。
もちろん、特定の誰かを責めるつもりなどありません。
ひとつひとつ、宮沢賢治の生き方をひっくり返して書き換えて、今の日本の風潮を皮肉ってみただけです。いえ、今の日本の風潮というより、「最近までの日本の風潮」かもしれませんね。猛烈に頑張って勝ち組になれば幸せだといった価値観は、もう流行らなくて、そんなにお金はいらないからのびのびと生きたいという人が増えてきているようですから。

宮沢賢治は多才な人でした。
今も、多くの人をひきつける魅力があります。
次元を超越した世界の人みたいな面もあるし、科学的で冷静な視座もあります。

単に観念の遊戯の人ではなく、具体的に、東北の農民の窮状を、間近で感じていましたから、まずは身近な人たちの生活の向上を(文化面も含めて)願い、究極の理想としては、世界がぜんたい幸福になることを望んでいたのでしょう。

記憶で引用するので、漢字の使い方など違っていたらすみませんが、文語詩稿に次のような言葉が出てきます。
「二人ぞただのみ幸ありなんと 思へば世界はあまりに暗く かの人まことに幸ありなんと まさしく願へば心はあかし」

自分たちだけ幸せになればいいなんて思っていたら世界はあまりに暗い、あの人に幸せになってほしいと他者のことを思うとき、心は明るくなる、ということなのでしょう。

自分たちだけ幸せになればいいなんて思っていたら、幸せにはなれませんよ、と、私は言いたいです。みんなが幸せになることを願う中で自分の心も明るくなる、そんな生き方が理想です。

前回、前々回、宮沢賢治について思うこと、子どもたちが言っていることなどを書きました。勝手な解釈もありますが、読んでくださった方、コメントやメールを下さった方、ありがとうございました。

ご参考まで、「雨ニモマケズ」の原文を引用

(雨ニモマケズ)宮沢賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

引用終了
(伊藤)

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