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人にはどれだけの(  )が必要か

暑いです。
山里とはいえ山形盆地の夏の日中は暑いです。でも、この暑さが豊かな作物を育むわけで、農家にとってはありがたい暑さです。今年の梅雨はけっこう雨も多く、水の不足もありませんでした。暑さも雨も含めて自然の恵みに感謝です。

『人にはどれだけの土地が必要か』というのは、トルストイの作品の題名ですが、この作品の問いかけは、「人にはどれだけのモノが必要か」とか、「人にはどれだけのカネが必要か」、といった問いと共通していると思います。

『人にはどれだけの土地が必要か』という物語の主人公の男は、ある部族が住む土地に行き、部族の族長から「日の出から日没まで徒歩でまわった土地を全部やる」と言われます。それで欲を出してどんどん遠くまで行き、日没がせまって全速力で戻ってきてゴールしたとたんに死んでしまった、という話です。膨大な土地を手に入れようとして、結局は自分を葬る墓地の土地を手に入れただけだった、というのです。

土地であれ、モノであれ、カネであれ、あり余るほどあっても使いきれません。管理するのはもちろん、把握するのも大変です。

生活できないような貧困は困りますが、十分生活できるレベルを越えて土地やモノやカネを所有してしまうと、持っている量と幸福は比例しなくなるといいます。

古くはデュルケムの『自殺論』が指摘したとおり、富豪の自殺率は高いのです。もし、持っている量と幸福が比例するなら、あればあるほど幸せで、自殺率は低くなるはずなのに。

あり余るほど持っていて、かえって幸せを感じないのでは、いったい何のために持つのかということになります。

質素に生きるのにこれくらいでも十分という量が、一番適切なのでしょう。
私は、その一番適切というのが、いちばん幸せなのではないかと思います。
(伊藤)

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