« 「農山村ブーム」と言うけれど | メイン | 人にはどれだけの(  )が必要か »

話の続き

「新規就農できるのは、資金のあるインテリだけ」と言われたら、反論できるんだろうかと考えてしまいました。私自身はともかく(私はたいしてお金もないし頭もたいしたことないのでともかく)、私が思いつく新規就農者のほとんどは高学歴だし、一流とされる職を辞してきた人が多いです。「収入が5分の1(人によっては8分の1)以下になったけれど、今の方がどれだけ幸せかわからない」なんて言って笑っていられるのは、これまでの蓄えがあり、頭脳があり、学歴や資格があり、いざとなったら他の仕事で食べていく自信があるからだろうかと、考えてしまいました。
私のように、資金も頭もたいしたことなく就農する人は、覚悟の上とはいえ、厳しい出発です。
ようは、新規就農のハードルが高すぎるし、就農後の収入が低すぎるのです。
農業というのは、自然が相手です。いやな上司もいなければ職場の人間関係に悩むこともない、決められた時間まで出勤する必要もないし、定時まで職場に残る必要もない、自由度が大きい仕事です。そういう意味で、いやなストレスもないし、理想的な仕事なのですが・・・・。
今のところ、新規就農は狭き門です。それは、希望者が多くて競争が厳しいという意味ではなくて、条件をクリアするのが大変なのです。別に、倍率が高いわけではありません。
新規就農のハードルが高すぎて就農後の収入が低すぎるという問題、今後の日本の農業の課題の1つでしょう。

ただし、私自身は、収入と幸福は比例しないと知っています。
それは、自分の体験でもあります。
世の中がバブルの頂点だった頃、私は駆け出しの二級建築士でした。あの頃、建築業界は潤っていて、私も儲けました。経験の乏しい二級建築士なのに、こんなに儲かっていいのかと思うくらい儲けました。それで幸せだったかというと、幸せの実感はほとんどなかったです。儲かっていただけで、毎日忙しく、がむしゃらに生きてました。
あの頃のお金を今に回したいくらいですが、どうせ泡のようなお金です。残ってません。
幸福感を言うなら、資金難の今の方がずっと幸せです。

どうでもいい話ですが、『「狂い」のすすめ』だけ、なんで明朝体で書いたのかというと、ワードで下書きしたからです。ワードは重いし余計な機能が多いので、ふだんは使いません。下書きするときはエディタを使ってます。ただ、ひろさちや氏の名前、全部平仮名で、うっかり間違って書くといけないので、ふだんは使わないワードで書いて、スペルチェック機能を使ってチェックしたのです。そのまま文章をコピーして貼ったら明朝体になってしまいました。読めればいいので、直していません。それだけの話です。(伊藤)

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。