« 稲作を始めて思ったこと | メイン | マルクス哲学批判序説 »

左翼系の衰退と再興?

私が高校生のときなのでだいぶ前の話ですが、『資本論』の研究で知られる某著名経済学者が、日本の卵のまずさとソ連(当時)の卵のうまさについて書いた文章を読んだことがありました。当時でさえ、私は、変だなあと思いました。ちょっと考えればわかることですが、卵の味と社会主義の優位性を結びつけて論じるのはそもそも無理な話です。資本主義体制化の養鶏業者は利潤追求を本質に卵の生産をするからまずい、それに対し、社会主義国の卵はうまい、などどいう理屈はイデオロギー的先入観であり、某氏がソ連の卵はうまいと感じたのは、単に当時のソ連の養鶏が「遅れていた」からに過ぎません。その後ソ連でもゲージ飼いの養鶏が主流になったので、卵はまずくなったことでしょう。資本主義か社会主義かではなく、産業の発達が食品の味を悪くしたのです。

私は学生の頃、タイやフィリピンの農村を旅したことがありますが、現地の農家でご馳走になった卵はおいしかったですよ。昔ながらの、地面に鶏を放し飼いにした「遅れている」養鶏の卵はおいしいんです。
食料の生産は、近代的・科学的な方法より、「遅れている」やり方の方がうまい。「進歩」するほど味が悪くなるのは、自分の舌で確かめても明らかです。調理もそうで、たとえば魚を焼くときに、囲炉裏や炭火はうまく、ガスは一段落ちます。IH調理器だと、ガスよりさらに格段落ちます。
それがわかっていますから、私は「遅れている」暮らしが好きです。

社会主義の優位性など、初めから怪しかったのですが、かつて多くの知識人が惑わされ、体制側の人たちさえも影響を免れることができませんでした。たとえば、戦後の日本は、社会保障政策などにより資本主義の矛盾が拡大しないようにしてきましたが、それは人道的な配慮というより経済や治安の維持の面もあったのでしょうし、社会主義思想が広がるのを防ぐため、対抗改革的に社会保障を進めた面もあったのでしょう。
今や社会主義は崩れ、社会主義思想に基づいて説得力のある批判を突きつけてくる論客もありません。資本主義はもう、左翼系の論者の発言に神経を尖らせる必要もなく、社会主義そのものを意識する必要さえなくなったかのようです。

でも、それでよいのでしょうか、資本主義は勝ったのでしょうか。生活保護を断わられて餓死者が出る日本です。階級対立など過去の話だったはずなのに、「フリーター」、「派遣労働者」、「零細経営者」といった「階級」が発生してきました。どんなに働いても貧困から抜け出せない人たちがおり、「現代の蟹工船」、「現代のタコ部屋」とまで言われるようになりました。戦前の『蟹工船』には戦うイデオロギーを感じますが、そうしたイデオロギーが崩れ去った今、どこに精神的な支柱を求めればよいのでしょう。
今の日本の現状は『蟹工船』以上に、明治期の『職工事情』に似ているのではないかと思います。福祉学生の頃、文語体で書いてあるのが気にならないくらい夢中で読んだ『職工事情』ですが、『職工事情』の労働者たちは、そもそもが低賃金・重労働で、事前の職業訓練もないままに過酷な労働の現場にいきなり放り込まれ、訓練を受けていないから高価な材料や機械を破損させ、罰を受けたり減俸されたりで、これ、現代の非正規雇用労働者を思わせます。
時代が変わっても、人のやることは似ています。

極端な格差の拡大は、戦後続いてきた福祉国家的資本主義が、特に小泉改革以降、むき出しの資本主義的な方向に転じたためでしょうが、国家が国家の力で修正を加えなければ、ますます弱肉強食の方向に向かうであろうと予想されます。そもそも資本主義体制下の企業に長期的未来という視点はないので、国がしなければ誰もしません。そして、国の方向を定めるのは、主権者である国民です。

マルクス主義には認識の根本にかかわる致命的な欠陥が多く、未来に向かう思想にはなりえないと思います。しかしながら、資本主義の原点復帰を思わせる日本の中で、レーニンの『帝国主義論』の新訳(光文社、古典新訳文庫)も上梓されていますし、小林多喜二の『蟹工船』も売れに売れています。
個人的には、ロバート・オーエンのようなもっと古い社会主義思想や、さらに、もっと昔の人たちの考えにも注目してほしいと思うのですが・・・・・。

私も、地方の零細業者や農家の苦境を身近に感じていますから、『蟹工船』に共感する人たちの気持ちがよくわかります。ただし、私は左翼ではありません。マルクス主義は人間を解放しません。それどころか、今以上に人間の自由を奪うであろうことは、すでに歴史が証明している通りです。

国の方向を定めるのは主権者である国民ですが、あのヒトラーも民主的な選挙で合法的に選ばれた事実を忘れないようにしたいものです。
定めるべき視座は、長期的未来です。(伊藤)

コメント

すばらしい説明だと思います。70年前後から左翼圏の中にいましたが、共産圏を賛美してアメリカ、日本保守を批判するやり方には嫌気がさしていました。その後ソ連は崩壊し、中国、ベトナムは資本主義導入の方向に進んでいます。左翼はこの間の歴史を反省し、一部の労組(日教組や官公労系など)の「福祉向上」ばかりを図らず、もっと全体的に社会が発展するよう運動のあり方を考えなのすべきだと思います。左翼圏の中にも理不尽な差別や抑圧があるのはあまりにも明らかです。

コメントありがとうございます。
人間がつくる制度に完全というのはなくて、どんな社会をつくっても、不完全かもしれません。社会主義がいい例ですが、ある社会を完全と思い込む人は道を誤ります。
どのように理屈を並べたって、自由な発想や発言を封殺する世の中や、特定の集団が権益を守って他者を顧みない世の中がいいはずはないし、よりよい方向に向かって行くとも思えません。それが右であれ、左であれ。
(伊藤一滴)

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。