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人間の基本的な営みは衣食住

「山里の古民家は住みやすいですよ」という話をすると、「うらやましいですね」と言われることもありますが、「なんでまたそんな所に引越したんですか」と訝しがられることもあります。でも、まあ、どう思われようが、人間の基本的な営みは衣食住であり、そのことは何も変わりません。

民家の土間は縄文時代に由来し、板の間は貴族の時代、畳の部屋は武士の時代に由来するそうです。一部洋室があれば明治以降です。日本の民家は、日本列島に人が暮してきた歴史そのもので、それぞれの時代に工夫されたものであり、それが広く取り入れられてきました。
時代が変わったからといって、数十年で否定できるものでなく、簡単に越えることはできないものだと思います。

日々の生活の中にはいろいろなことがあるでしょうが、中でも、もっとも基本になるのはやはり衣食住でしょう。これを確保した上で他のことがあり、暮らしの中からいろいろな文化や芸術も生じたのだろうと思います。
昔は、この衣食住に直接かかわる仕事が多かったと思うのですが、今はいったい第何次産業なんだか、わけがわからないような仕事が増えました。「衣」と「食」を海外に依存し、「住」は工業的な大量生産、その原料や製造・運搬等に膨大な外国産の資源が使われています。すべて順調ならともかく、衣食住が自分たちの手から離れて高度に産業化された現状では、何かあればたちまち困ったことになるでしょう。

昔の日本家屋は保存食も燃料(薪や炭)も備えていました。
たとえ災害時でも、井戸水や沢の水を使っていたから断水の心配もなかったし、汲み取り便所だからトイレが使えなくなることもありませんでした。ガスが止まろうが電気が止まろうが、カマドで煮炊きして食事を作ることもできました。
「衣」の布や糸も国産、「住」も地元の大工さんが建てた家で、多少傷んでも直せたし、そもそも大量生産品でないからパーツが生産中止になって直せないといったこともありませんでした。

合理的で災害に強い伝統的な暮らしを、大量消費型でしかも脆弱なものに変えたのが近代化であり文明化でした。
この大量消費型の近代的・文明的な生活を維持するために、第何次産業だかわからない仕事をし、そこで得たお金で産業が供給する物品を買い続けるしかありません。それ以外に方法がない暮らしをしなければならず、現代人は日々疲れ、ストレスを溜め込んでいます。どうも、向かっている方向は「未来少年コナン」のインダストリアやチャップリンが描いた「モダンタイムス」のようです。

たまたま、雑誌「チルチンびと」の47号を見ていたら、建築家の吉田桂二氏がオール電化のことを「自殺用密閉容器」と書いているのを見つけました(P.104)。そこまで言うのか、と思いましたが、暖房も調理もみな電気で一切火を使わない暮らしにそれくらい言ってやりたくなる気持ちもわかります。今でさえ、住居の多くは大量消費型で脆弱になっているのに、停電になったらイチコロの、完全に電力に依存する生活をして、その先どうなるのでしょう。

人間の基本的な営みが衣食住であることは、時代が変わっても変わりません。
なにも最新の技術を追求し続けなくても、人は生きていけます。むしろ最新の技術の方が脆弱なのです。
私はそれに気づき、だいぶ気持ちが楽になりました。(伊藤)

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