囲炉裏ばたで考えたこと・住宅
ご無沙汰しています。
やっと今年の初ログです。
たまたま正月明けから仕事が集中していただけで、私も家族も元気です。心配ありません。
1月3日から6日まで、妻が子どもたち3人を連れて関西の実家に帰省していたので、私は1人、冬の古民家で正月を過ごしました。
外は雪ですから、畑の作業もないし、子どもたちもいないので、家の中を少し片付け、土間で豆の脱穀をしながら豆がらを薪ストーブにくべたりしていました。
日頃の、子ども3人の大騒ぎが嘘のような、静かな日々でした。
1人分のご飯をつくり、あまりに静かなのでラジオをかけて1人で食べ、食後は囲炉裏のそばで休みました。
おかげで、少し、ものを考える時間もできました。
安藤邦廣著『住まいを四寸角で考える』(学芸出版社)を読みました。著者は筑波大学大学院教授で、民家の研究と板倉工法で有名な方です。
日本の住宅はどうあるべきか、民家再生はどうあるべきか、これまでも考えてきましたが、この本を読んで、さらに考えさせられました。
私も建築士ですから、これまでいろいろな住宅論を読んだり聞いたりしましたし、自分で木造住宅の設計もしてきました。いろいろな方がいろいろなことをおっしゃていますが、安藤氏が書いておられるように、住宅はその土地の気候風土をふまえた上でつくるべきでしょう。その前段階で、住宅の歴史についてもふまえておくべきでしょう。(これまで、日本の建築学のアカデミズムの側の人たちは、そのどちらも重視してこなかったようで、ほとんどの実務家はこうした教育を受けていません。そもそも、建築の授業で「木造住宅」も「住宅の歴史」もほとんど全くと言っていいくらい扱わないのですから。安藤邦廣教授など、例外的な研究者です。)
それと、かつては貴重だった杉材が、今ではあり余る状態です。採算が取れないので、各地で杉山が放置され、手入れもされずに花粉を撒き散らしています。住宅建築に国産杉を活用するという当たり前のことが、うまく機能しなくなっているのです。安藤氏は「板倉の家」という、国産杉の厚い板をふんだんに使う家を提唱し、実践しておられます。いいことなのに、「建築基準法」が邪魔をします。(今や、この法律、日本憲政史上最大級の悪法の1つとなりました。建築の法律なのに、増築に増築を重ねてむちゃくちゃです。)
国家百年の計を考えれば、国は、杉という国産資源を有効に活用すべきであり、杉材をふんだんに使って地元の職人が住宅を建てるのを奨励すべきであって、法律が邪魔をするのは話があべこべです。
民家再生は、その土地ですべきだ、民家に住みたいならその土地に引っ越して来るべきだ、民家の価値は地域も含めた総体としての価値なのだ、という安藤氏の主張はもっともですが、そうしている間に民家が壊されていく現実もあります。それに、地域社会そのものが、少しずつ蝕まれていますし、少子化・過疎化も止まりません。
私は、民家も地域社会も残ってほしい、続いてほしいと思っています。時代の移り変わりの中で変化するのは仕方がないにしても、変化しながらも、とにかく続いてほしいと思っています。今、地域社会は変化どころか、存続が難しい方向に向かっています。理想を言っている間に民家が壊されるくらいなら、別な場所に移築して残した方がいいのではないか、いや、地域性が大きく異なる場所に移築したのでは、それはもう形だけの民家、死んだ民家ではないか、と、頭の中で堂々巡りです。
民家再生にたずさわる多くの人は承知の上だと思いますが、理想から順位をつければ、いちばん望ましいのは民家の現地再生でしょう。それも地元の天然素材を使い、地元の職人が伝統工法で行なう現地での民家再生です。やむを得ない場合は移築再生となりますが、できればその土地の近くか、同じ文化圏の中に移築するのが望ましいのです。民家の価値は地域も含めた総体としての価値だと私も思います。遠くに移築するとか、解体して古材を利用するとか、どうしてもやむを得ない場合の最終手段と考えるべきでしょう。(伊藤)
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