12月の近況
(1)スピードと高所
今月の初めに建築学生のときの同級生の結婚式に招かれ、久しぶりに東京に行きました。
5年ぶりに山形新幹線に乗りました。「新幹線って、こんなに速いのか?」というのが、ずっとそういったものに乗らずにいた人間の感覚だと気づきました。
東京では、ホテルの13階に泊まりました。東京ですから、40階、50階の建物も珍しくないのですが、私は13階の窓から外を見て、ずいぶん高い所にいると思いました。東京に住んでいた頃は、新宿の高層ビルにもよく行きましたし、別に何とも思わなかったのですが、もう何年も、そういう場所から離れた暮らしをしていると、高所に驚きを感じます。人間の感覚とは、そういうもののようです。私が山形の田舎でふだん過ごすのは1階か2階で、3階以上に行くのはまれです。そもそも、私のいる田舎には3階以上の建物がほとんどないのですから。
人間の感覚は、ふだんの生活の中の「慣れ」が大きいようです。
考えてみれば、人類の長い歴史の中で、スピードや高所に慣れるようになったのはごく最近に過ぎません。産業文明の発達によって乗り物の高速化や建築の高層化が可能になったわけで、それが日常となれば慣れますが、日常でなければスピードや高所に驚きや怖さを感じるのが人間の本能ではないかと思います。
(2)薪ストーブ活躍中
12月になり、山里は寒くなりました。北国ですから、西日本や関東よりも夜が長いです。
わが家では薪(まき)ストーブが活躍しています。妻は、私と結婚するまで薪を焚いた経験は1度もなかったそうですが、最近は薪を割るのも焚きつけるのも上手になりました。
うちにも、車やパソコンやある程度の電化製品はありますが、部分的には、昔と変わらない暮らしをしています。
灯油も高くなり、これまで以上に薪ストーブが注目されているようで、雑誌の特集など、よく見かけます。ただし、市販のものは高価です。普及すればもう少し安くなるのかもしれませんが・・・・・。
私は、今のように注目される前から、薪ストーブは最良の暖房器具だと思っていました。輻射熱の暖房効果もそうですが、エネルギー資源問題、環境問題、未来への持続性、どれをとっても優れものです。「燃料代が石油より高い」と言う人もいましたが、それは、たきものをお金で買うからであって、自分で枯れ枝や倒木を拾ってくればただです。「たきぎ拾いに時間をかけるくらいなら、その時間働いて、石油を買った方がいい」というのがこれまでの理屈でしたが、今後もそうでしょうか?
そういったことだけでなく、薪が燃えるのを見ていると、心の安らぎを感じます。炎もそうですが、私は煙の匂いすら、好ましく感じるのです。私たちの先祖は、太古の昔から、つい半世紀くらい前まで、日常的にカマドや炉(囲炉裏など)で火を焚いてきました。そうした記憶がDNAに刻まれているのではないかと思えるときがあります。
ただし、薪ストーブ暖房は、広々とした田舎に住んでいるからできることで、もし都会の住宅密集地でやったら煙突の煙が迷惑だと言われかねません。しかも都会では、家のまわりから枯れ枝や倒木を集めることもできないだろうし、薪を切ったり割ったりする音さえ、近所から迷惑がられるかもしれません。やっぱり、田舎は住みやすいと思います。
私は、この山里で生まれ育ったわけではありませんが、何だか、自分の里に帰ってきたような感じがしています。里があるのはいいなあと思います。
「いいのはわかっています。問題は、仕事、収入、子どもの教育、買い物、雪害、田舎の風習、そして万一のときの医療です」って言われそうですね。
まあ、これは、私の言い分ですけれど、やりたくない仕事を毎日やって、うんざりするような毎日をおくりながら高収入を得たり、子どもを無理に塾に通わせ、名門とされる学校にやったとしても、それで幸せなんだろうか、と思います。その子も名門校を卒業して、うんざりするような職場で働き、高収入を得て暮らし、それで幸せなんでしょうか。
山里で暮していたって、ふもとに下りれば大抵の買い物はできます。雪の対策もあります。田舎の風習や人間関係はむしろ好ましいし、万一のケガや病気でも、ふもとの病院に運べるし、救急車で大病院に運んでもらうことも可能です。
私が、特に冬の積雪時に健康上の問題が起きたときの不安を口にしたら、「伊藤さんが雪の中で倒れたって、みんなで運ぶから心配すんな」って、近所の人たちから言われました。山里の人たちは昔から、互いに助け合いながら暮してきたんです。
すべてが理想的な住環境など、たぶん、どこにもありません。その人が何に価値を感じ、何を優先し、何を選び、どう生きるか、なのでしょう。(伊藤)
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