世間
「世間てなんだろう」という話を妻としました。妻は、「世間というのは、家族や親戚などの一部が物事に反対するときにだけ使う言葉で、実体は無いんじゃないの」と言います。これは、ズバリ本質を突いた言葉だと思いました。たしかに、賛成するときに誰も「世間がどうの」とは言いません。
私たちは、「世間がどうの」を振り切って田舎の山里に引っ越して来ました。振り切ってしまえば「世間」は追いかけて来ません。
なんだか、「世間」も「お化け」も話に聞くだけで、あったためしがないと思えてきました。
もちろん、相手や社会に対する配慮は必要ですが、実体のはっきりしない「世間」や「お化け」を恐れ、萎縮することはないのです。自分の一生です。「世間」を気にして本当に望むことをやらずにいたら悔いを残します。
べつに太宰治が好きなわけではありませんが、太宰治も「世間」とは何か気づいていたようで、こんなふうに書いています。『人間失格』から引用で、日頃の生活態度を堀木という人から叱責された箇所です。
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(今に世間から葬られる)
(世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)
太宰治著『人間失格』より
(伊藤)
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