『大きな森の小さな家』
ローラ・インガルス・ワイルダーの著作とされる『大きな森の小さな家』を読んでいます。舞台は今から百年ちょっと前のアメリカで、日本だと明治時代の初め頃です。続きの『大草原の小さな家』はアメリカでテレビドラマ化され、日本でも放送されて有名になりました。
『大きな森の小さな家』を読みながら、アメリカの「開拓」というのは、銃と肉食の文化だとつくづく思いました。ローラの父さんは特別な人ではありません。家族思いだし、インディアン(アメリカ先住民のこと、当時の表現)と争わないようにしたいという、当時としてはかなりいい人だったと思います。
そういういい父さんでも、ふだん銃を携帯し、家でもすぐ取れるよう弾を込めて壁にかけてあります。パンや野菜やトウモロコシなども食べますが、一番の御馳走は肉です。豚も飼っていて、物語の初めから豚の屠殺の話です。自家で屠殺し、解体し、無駄なく利用します。ハムやソーセージを作り、厳しい冬の間の保存食にします。
父さんは時々銃を持って森に出かけ、野生の動物を獲って来て、自分で解体して肉にします。動物の皮も自分で剥いで、なめして、自家用に使ったり売ったりしています。
インガルス一家は豊かな自然の中に生きています。家族が協力しあって、生活に必要ないろんなものを工夫し、手間をかけて手作りし、ものを大切にしています。ようするに、昔の暮らしです。
読んでおもしろいし、いろいろ学ぶことの多い作品ですが、どうも彼らにとっての自然は戦う相手であり、戦って何かを得てくる相手ではないかと思えるときがあります。
別にインガルス一家が悪いわけではありません。当時の西洋人、特に開拓民はそういう中に生きていたのでしょう。
父さんは自然の中で暮らすのが好きな人ですが、それでも小麦の脱穀機を借りてきて、機械の素晴らしさを讃える場面も出てきます。ローラの父さんでさえ、すでに機械による能率化を求めているのです。
インガルス一家から学ぶことは多いですが、私は、そこからさらに一歩進め、「人間も自然界のさまざまな存在の中の一員」と考えてゆくのが理想ではないかと思います。
そんなことを言うと、「あなただって、電気・ガス・水道を使い、パソコンも使い、ジープにも乗っているじゃないか」と叱られそうですが、すぐに全てを理想どおりには出来なくとも、やはり、理想は理想です。(伊藤)
補足1:ローラ・ワイルダーの著作(とされている作品)の邦訳は、福音館書店、講談社、岩波書店などから出ています。インターネットの検索機能を使い、「ローラ・ワイルダー」または「ローラ・インガルス・ワイルダー」で調べると、いろいろ検索できます。(理想を語ったすぐ後で、インターネット検索うんぬんの話は矛盾なんですけれど・・・・・。)
補足2:アメリカ開拓民の自然観をキリスト教思想と結びつけて論じる人もいます。東洋人は自然と調和して生きてきたが、キリスト教徒は自然を神が人間に与えたものと考え、支配する対象と考えてきた、それが乱開発につながっていったのだとする説をよく聞きます。でも、どうでしょうか。中世ヨーロッパの人たちは、乱開発などしませんでした。今の日本は、キリスト教国でなくとも、あちらこちらで乱開発です。
多くの場合、自然に対する姿勢というのは、生きてゆく時代の状況や場の状況によるのだろうと思います。宗教的要因は無縁とまでは言いませんが、それを第一の原因と考えるのはどうかと思います。
ちなみに、インガルス一家も敬虔なプロテスタント教徒ですから、この『大きな森の小さな家』は、近くに教会もない森の中で暮す当時のアメリカ開拓民の宗教的価値観や宗教的な風習を知る上でも興味深いです。
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