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新約聖書の日本語訳 田川建三訳と永井直治訳 

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田川建三訳の新約聖書がある。分冊には詳しい註がついていてなかなか読み進まない。私は註も全部読むようにしているし、他の訳とかなり違う箇所や気になる箇所は、他の訳やネストレ校訂版と照らし合わせて読んでいる。そういう読み方なので、1冊読むのに半年~数年かかる。最初に刊行された『マルコ福音書・マタイ福音書』を読み終えるのに5年くらいかかってしまった。もっとも、その当時はまだ子どもに手がかかったというのもあるけれど。私が生きているうちに最後まで読めるんだろうかと思うこともある。


読んでいて、田川訳は正確に訳そうとかなり努力した訳だと思う。ただ、原文のギリシャ語自体、そんなに正確ではない。「言語に正確さなどあるのか。多くの人がそういう使い方をし、それで意味が通じるなら、それが正確な言語ではないか」、という考え方もあろう。新約聖書の場合、何人もの人たちが執筆しているし、後に書き加えられたのではないかと考えられている箇所もある。文体も不統一であり、文法上、また単語の用い方も、疑義のある点が多い。

「聖書は誤りなき神の言葉なのだから、原語の文法や単語に誤りがあるはずがない」という考えがあって、語学的に正しくない箇所も(黙示録に特に多い)、これはこういう独自の文法なのだろうとされ、「適当に」訳されてきた。
田川氏は原語の釈義に厳しい。だが、それでも、田川訳を読んでいると、こういう訳し方でいいんだろうかと思う箇所もある。それに、意訳もあるし、文や訳語の不統一もある。

田川訳は、基本的にネストレ校訂版からの訳だが、一部ネストレの読みに従っていない箇所もある。田川氏のことだから、ご自分で各写本を検討し、本文校訂(ほんもんこうてい)をなさったのだろう。だったらそのギリシャ語の文を示してほしかった。ネストレ校訂版をそのまま訳した箇所はネストレを見ればいいが、違う校訂の箇所は、その独自の本文校訂の文を載せてほしかった。延々と他の訳の批判や余談みたいなことを書かなければ、それくらいのスペースは確保できたろう。だいたい、高いお金を出してわざわざ田川訳を買って読むくらいの人は、日本聖書協会や岩波書店の聖書の翻訳に問題点があることくらい知っている。

田川氏は、これまで新約ギリシャ語を正確に訳した日本語の聖書はなかったと言うが、実は、かなり正確な訳がある。永井直治訳『新契約聖書』である。
ただ、これはネストレからの訳ではなく、ステファヌス校訂第3版から訳されたものだ。言うまでもないが、永井先生はネストレよりステファヌスが良いと思っていたわけではない! 彼は、ステファヌス版からネストレ版に至る新約聖書本文校訂の流れの一覧を作り1冊にまとめようとしていた(※1)。

壮大な計画であった。だが、不幸なことに、ちょうど日本はアジア太平洋戦争に進んで行った時代であり、ステファヌス第3版の訳だけは『新契約聖書』という題で刊行されたが、あとの計画は中断になってしまった。そして永井先生は戦争末期に亡くなられた。
そんな時代でなくて、永井先生に時間も資金も十分にあったならと惜しまれる。

『新契約聖書』はすでに著作権が切れていて、インターネットに全文が公開されており、無料で読める。これは故植田真理子氏らのご努力による。
翻訳者の永井直治先生に対してはもちろんのこと、これを電子データ化し公開なさった植田真理子先生に心から感謝申し上げたい。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%96%B0%E5%A5%91%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8

また、明治学院大学図書館がこの本の全頁の鮮明な写真を公開しておられる(翻訳者のサイン本だった※2)。
これは、「明治学院大学図書館 デジタルアーカイブス 新契約聖書」で検索できる。
国立国会図書館が公開している本は白黒だが、明治学院大学図書館のは鮮明なカラー写真だ。明治学院様、ありがとうございました。

私は、偶然、ある古本屋で、「ギリシャ語新約聖書ステファヌス校訂第3版」を入手した(※3)。英国欽定訳との対訳本だ。おそらく古本屋さんは何の本だかよく分らなかったのだろう。手書きの帯に「洋書、キリスト教?」と書いてあり、千円均一本の中にあった。
これを永井直治訳『新契約聖書』と照らし合わせてみて、永井訳の正確さに驚いている。翻訳には時代的制約があるとはいえ、訳語の統一といった点では田川訳より確かだ。

ふつう、歴史的な流れを知ろうと思えば過去から現在へと向かう。永井直治もそうしようとしたのは当然だと思う。だが、もし逆に、永井先生が当時から過去へと向かって訳していたなら。つまり、当時のネストレからステファヌスに(あるいはエラスムスに)遡ってゆく翻訳を計画なさっていたとしたら、第一冊目がネストレからの訳となり、我々は、ネストレ版を非常に正確に訳した日本語訳新約聖書を手にすることができたろう。
ステファヌス校訂本の訳もたいへん価値があるとは思う。だが、優先順位からしたら、まずネストレ校訂版からの翻訳がほしかったと思う。

(伊藤一滴)


※1
「新契約聖書」の「小引」にこうある。

引用開始
 併しステハヌスを學び、またそれを仔細に和譯することが、私の研究の主眼ではありません。私の主眼とする處は、等しくステハヌスを基本としまして、ベザやエルゼビル、ミルやグリスバッハ、尚ほその他の多くの學者等を經て、ラハマン、ツレゲレス、チシェンドルフ等の學者に傳はり、遂にヱストコットやワイス等よりネストレに落ち込みました。その流、その修正、またはその變化を一見して明らかなる樣、一册のテッキストに歴史的に總括することでした、本書はその基礎であり、またその一部分であります。
引用終了

永井先生は、ティシェンドルフも、ウェストコット(およびホート)も、ヴァイスも、ネストレも、否定していない。

※2
明治学院大学図書館は翻訳者自身の書き込みもモザイクなどかけずに載せておられる。サインや書き込みも歴史的価値があるものだと思う。
最近は、個人情報がうるさいからだか、古本屋で売られている本にも、著者のサインと思われる箇所が塗りつぶしてあるものがある。なんてことをするんだろう。

※3
あとから、「ギリシャ語新約聖書ステファヌス校訂第3版」は電子書籍化されていて安価で売られているのを知った。アマゾンのキンドルで購入できる。
ネストレ・アーラント校訂第28版は、ドイツ聖書協会が無料で公開しているときもあるが、いつもではない。いつも参照するためには、紙の本か電子書籍か、どちらかを購入する必要がある。


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