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アダムの肋骨? 男女平等? 男性優位?

翻訳された旧約聖書の創世記によれば、最初の女は、人(男)のあばら骨からつくられたという。

創世記の2章21~24節にこうある。

主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。
「ついに、これこそ
わたしの骨の骨
わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
(新共同訳)

ずっと、「あばら骨」とされてきたし、私もそう書いてあると思っていた。
だが、これは「陰茎の骨」と訳すべきだとする説があるのを最近知った。
世に多数出回っているフェイクの珍説の1つではなく、ちゃんと学問的に検討された説である。

https://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-3377487/God-Eve-Adam-s-PENIS-not-rib-claims-religious-academic.html
(英文)

もしこの説が本当なら、あばら骨と訳したのは、紀元前の七十人訳以来延々と続いてきた誤訳の踏襲ということになる。


動物学に詳しい人以外はあまり知らないと思うが、多くの哺乳類は陰茎に骨を持っている。陰茎骨という骨である。(実は、私も最近まで知らなかった。)
哺乳類には陰茎骨を持つのと持たないのがおり、ヒトにはない。
また、ヒトの男性器の裏側にはまるで肉をふさいだかのような筋もある。(※注1)

※注1:この筋は、胎児のときのなごりらしい。初期の胎児は外見では性別がわからない。女児は女性器が形成されてゆくが、男児はその部分が閉じてゆく。この閉じた痕が筋となって残るのだという。


創世記の「あばら骨」と訳されてきた語を陰茎骨という意味にとれば、ヒトの男性の特徴と一致する。

古代人は食肉解体などをする中で、陰茎に骨を持つ動物が多いことに気づいていたのだろし、戦で敵を倒した証拠に陽物を切り取って持ち帰れば、そこに骨がないことにも気づいたろう。(※注2)

※注2:生殖器を性別にかかわりなく陰部と呼ぶが、男性の生殖器に限り陽物(ようぶつ)とも呼ばれる。
陰部と陽物では意味が正反対だと思うが、普段は隠しておく部分という意味でどちらも陰部と呼ぶのだろうか。


創世記は、「主なる神は人の陰茎から骨を取り除き、その跡を肉でふさぎ、その骨を使って女をお創りになった」と言っているのかもしれない。
そして、これは私の想像だけれど、「男は、もともと自分の陰茎骨であった女を求めるのだ」、「男は自分のその部分を女と合体させたいと思うのだ」と言っているのかもしれない。
私のこの想像が当たっていれば、これはおおらかな古代人のたわいもない話に由来する神話だ。古代人はおおらかで、男女の性をダブー視などしていなかった、ということだろう。
人類の発生の史実などとは何の関係もない話だ。

ただ、おおらかな神話とはいえ、人(男)の陰茎骨から女が出来たというのは、あまりにも男性本位の考えに思える。

創世記の初めにある創造の話を素直に読むと、まるで天地創造が2回あったかのように読める。
これは、近代の聖書学が明らかにした通り、2つの異なる伝承をつないでいるからである。

創世記1章1節~2章4節前半はP伝承(祭司伝承)による創造物語であり、2章4節後半~4章26節はJ伝承(ヤーウェ伝承)による創造物語である。

P伝承だと「神は男と女をお創りになった」のであり、男女に上下関係はない。
J伝承だと「主なる神はご自身の似姿として人(男)をお創りになり、そのふさわしい相手として彼の骨の一部(陰茎骨?)から女をお創りになった」という意味になる。これだと神の似姿であるのは男であり、女はその相手、男に従属する者、ということになる。
創世記の初めから、聖書は矛盾する。

ここからまた、私の想像だ。
創世記の編集者は、当時、矛盾しあう両論があることを知っていて、あえて両論を載せたのではなかろうか。そして、「男女は対等なのか」それとも「男に従属する者として女がいるのか」、どちらなのか、未来の人に判断を委ねたのではないか。

人類の歴史の中で、長く、多くの場所で、「男に従属する者として女がいる」扱いであった。これは今も、完全には解消されておらず、「はて?」と言いたくなる現実がある。我々は今も創世記から問われている。


福音書が記すイエスの発言を素直に読むなら、男女は対等と読める。
例「イエスはお答えになった。『あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった』」(マタイ19:4)

パウロはロマ書の末尾で、多くの人の名をあげて謝意を示し、よろしくと言っているが、そこに女性が何人も含まれており、男女を分け隔てしていない。
別の個所でパウロはこうも言う、
「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」(ガラテヤ3:28)

同じパウロが、極度の女性差別者とは考えにくい。パウロ書簡に見られる女性差別的な記述の数々は、後に別人によって書き加えられた可能性もある(バート・D・アーマンによる)


補足
チンパンジーなどのサルの仲間と人類は共通の祖先から分かれており、遺伝子も近い。別れたのは今から500万年~700万年前と考えられている。俗に「人間はサルから進化した」と言われるが、「人間とサルは共通の祖先を持つ」と言うのが正確だ。祖先は同じでもそれぞれ別の進化を遂げているので、現代のチンパンジーが今から何百万年も経てばヒトになるということではない。
チンパンジーなどのサルの仲間は陰茎骨を持つ。だが、ヒトにはない。ヒトは進化の過程で陰茎骨を失っている。ヒトに進化したグループは一夫一婦制を基本とし、1匹のメスを多数のオスで奪い合うことがなくなり陰茎骨が不要になったと考える人もいる。(骨があることで入れやすく抜けにくいようだ。メスを奪い合う動物には必要でも、ヒトには不要になったのだ。)
今日、プロテスタントの主流派(リベラル)やカトリックの信者が進化論を否定することはまずない。エキュメニズム派とも呼ばれる彼らのほとんどは、「生物の発生も進化も神様の働き」と考えている。この考えだと、ヒトが進化の過程で陰茎骨を失ったのも神様の働き、ということになる。つまり、「神様はヒトから陰茎骨を取り除いた」と言える。そして、「神様は男にはふさわしい女を(女にはふさわしい男を)与えてくださるのだから陰茎骨などいらない」と考えることもできる。

(伊藤一滴)


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