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キリスト教史の諸問題 「教会はいらない、信仰もいらない」(再掲)

まず、どう聖書を読んでも、旧約と新約には主張にズレがあります。
イエスの教えとパウロの見解にもズレがあります。
福音書も、それぞれに出来事の記述の食い違いもありますし、著者の考え方の違いもあります。
「使徒行伝が描くパウロ」と「パウロの手紙」には食い違いがあります。
パウロの手紙とヤコブの手紙など、まるで考え方が違っています。
他にも、多くの食い違いがあります。

私は、そうした食い違いを認めていいと思っています。矛盾点など一切ないと頑張れば、無理な説明になってしまい、おかしな方向に走ることになります。実際、「正しい聖書信仰」と称し、変な方向に走っている人たちがいます。


キリスト教成立の初期には、指導的な女性たちがいて、かなり活躍していたようです。我々は、パウロのローマ書の末尾の挨拶などから、それを察することができます(ローマ16:1以下参照)。
ジネント山里記: ヘブル書の著者は女性? 優秀な女性使徒もいた? (ic-blog.jp)

キリスト教は、弾圧の時代を経て、4世紀にはローマ帝国から公認され、その後ローマ帝国の国教となりました。弾圧に屈せずに活動を続けた教会は、ローマ帝国の宗教となり、帝国の権力と結びつきました。天上の栄光を求めた人々は地上の力を得て、聖権と俗権が癒着したのです。

キリスト教の持つ、戦闘的性格、男性中心主義、上意下達の教会組織など、こうして形成されたのでしょう。

4世紀の末に、ローマ帝国はキリスト教以外の宗教やキリスト教の異端派を禁じ、弾圧するようになりました。弾圧されてきた側が、今度は弾圧する側になったのです。アメリカの建国や(現代の)イスラエルの建国に、似たものを感じます。これは、聖書に記された唯一のヤーウェ(ヱホバ)を信じる価値観と関係ありそうです。

新約聖書27巻が成立したのも4世紀の末です。パウロの真筆と考えられる手紙の中にも女性差別的な記述がありますが、そうした記述は男性中心主義者たちが書き加えた可能性もあるのです。ローマ書の末尾には活躍する女性たちへの高い評価と謝意が書かれています。そのパウロが、一方で女性を著しく差別していたとは考えにくいからです。

「アレクサンドリア」という映画にもなったヒュパティア(370-415)の名を聞いたことがありますか? 中高の歴史教科書などには出てこないので、知らない方も多いかと思います。彼女は哲学、数学、天文学、医学など、幅広い分野に通じた名高い学者で、遠方からも多くの人が学びに来ていました。神秘主義を排し、科学的な検討を重んじた彼女は、当時の教会から危険視される学者でした。
ギボンの『ローマ帝国衰亡史』にこうあります、「四旬節のある日、総司教キュリロスらが馬車で学園に向かっていたヒュパティアを馬車から引きずりおろし、教会に連れ込んだあと、彼女を裸にして、カキの貝殻で生きたまま彼女の肉を骨から削ぎ落として殺害した」(※1)。

キリスト教徒の手によって、教会の建物の中で、彼女は惨殺されました。女が学問を教えるのは反聖書的だという思いも、この事件につながったのかもしれません。四旬節になるたびに、私はヒュパティアのことを思います。

その後、中世の教会は、カタリ派やワルドー派など、異端と見なした派に対し、容赦なく、残虐な弾圧を加えました。異端とされた人たちの活動は、正統教会の腐敗に対する抗議として、新約聖書に示された清貧の理念に立ち返ろうとした動きと見ることもできます。「異端」の指導者たちのほうが、ずっと清貧の中に生きていたのです。
正統教会は、最初は説得を試みたのですが、あまり効果が上がらず、「異端」に対し徹底的な武力弾圧を加えるようになりました。無抵抗な女性や子どもまで次々に殺害する殲滅作戦で、その結果、カタリ派は全滅し、ワルドー派は迫害から逃れた少数の人たちが何とか宗教改革の時代まで生き残りました。生きのびたワルドー派は福音主義信仰の一派としてプロテスタントに合流しています。

中世の十字軍派遣や、中世末期から近世にかけて激しくなった異端審問や魔女狩りも、キリスト教史の大きな汚点です。こうした暴挙によって、多数の無辜が殺されてゆきました。

十字軍の蛮行については既に多くの指摘があり、日本語で読める本やネットの記事も多数出されていますから、関心のある方はお読みになってください。
私が言うまでもないのでしょうが、知らないクリスチャンが多いので、一つだけ書いておきます。
十字軍がイスラム教徒の町に攻め入ると、女性、子ども、高齢者といった非戦闘員も含めて住民を殺害するのが常でした。旧約のエリコの戦いを思わせます。それに対し、イスラム教徒の軍がキリスト教徒の町に攻め入っても、原則として、非戦闘員は殺さない方針であったようです。例外もあったかもしれませんが、一般的には、イスラム教徒のほうが人道的でした。

キリスト教徒にとっては「イエスを信じる」ことだけが救いであり、人道的であることは救いとは関係なかったようです。カトリックの場合、善行も重んじられていましたが、この善行は一般的なヒューマニズムではなく「教会に従うことが善行である」と矮小化されていました。
この時代、教会が異教徒の殲滅を命じれば、非戦闘員も含めて殲滅するのが善行になってしまっていたのです。

今も「イエスを信じる」と称する一部の人たちに、ヒューマニズムの否定が見られます。さすがに今のカトリックではヒューマニズムの否定はないと思いますが、「福音派」を称する人たちの中に、「救いはイエス様を信じることだけで、ヒューマニズムは救いとは無縁の人間的価値観だからだまされてはいけません」といった主張があるのです。中世のカトリックの悪い面が今の自称「福音派」に受け継がれているようです。十字軍と似たもの、そして、エリコの戦いと似たものを感じます。

ジネント山里記: 善行もヒューマニズムも救いとは一切関係ない? (ic-blog.jp)

魔女狩りについて言えば、これは、教会による無辜(多くは女性)の大量虐殺でした。14世紀から約400年もの間、おびただしい数の無関係な人たちが魔女の疑いをかけられ、殺されています。
魔女狩りはカトリックで下火になってからもプロテスタントによって続けられ、アメリカにまで飛び火しました。マサチューセッツ州で起きたセイラムの魔女裁判(Salem witch trials 1692-1693)が有名です。(これを知らない「正しい聖書信仰」のクリスチャンが多い! 「魔女狩りをやったのは悪いカトリック、正しいのは福音主義」という、あれかこれかの二元論! 実際は、新旧両派とも盛んに魔女狩りをやっています。そして、最後まで続けたのはプロテスタントの側です! ※2)

ユダヤ人差別、女性差別、人種差別、先住民差別、性的マイノリティー差別・・・と、キリスト教徒による差別は続きます。

「宗教改革でキリスト教は正しくなった、それ以前は間違っていた」みたいな、あれかこれかの二元論じゃないんです。

ルター(1483-1546)の宗教改革に刺激され、抑圧されていたドイツ農民が決起すると、最初同情的だったルターは農民軍を非難する側に転じました。トマス・ミュンツァー(1490?-1525)率いる農民軍は宗教改革者から弾圧され、またカトリックからも弾圧され、ミュンツァーはカトリックの軍に捕えられて拷問され、斬首されています。
一方のカルヴァン(1509-1564)も、スイスのジュネーブで、一種の恐怖政治のような強権支配をしています。当時、セルヴェトス(1511-1553)という思想家で医学者で神学者でもあった知識人がいました。ハーベイより先に血液の循環に気づいていたようです。彼は、カトリックから異端者とされて捕えられ死刑を宣告されましたが、脱出し、各地を転々とした後、ジュネーブに逃れました。ところが逃れた先のジュネーブでカルヴァン派から捕らえられ、カルヴァンの賛同のもとに異端の罪で火刑に処されています。セルヴェトスは首に幾重にも縄を巻かれた上、火刑台に鉄鎖で括りつけられ、とろ火でゆっくりと焼かれたとのことです。見ていた人は苦しみもだえる姿を見かねて、火に枯草を投じて火力を上げ、死を早めさせてやったと伝えられています。カルヴァン派は「異端者」を焼き殺すことで、正統信仰に反する者はこうなるのだという見せしめにしたのでしょう。
今も多くのプロテスタントはカルヴァンの影響を受けていますが、そのカルヴァンは「異端者」を火あぶりにする人だったのです。(これも知らない「正しい聖書信仰」のクリスチャンが多い!)

その後のキリスト教の歴史もひどいものです。
聖バーソロミューの虐殺事件や三十年戦争が有名ですが、新旧両派は戦いを続け、また新教徒同士の争いも続きました。キリスト教徒による内ゲバのような同士討ちの時代でした。

エラスムス(1466?-1536)やカステリョ(1515-1563)のように、平和や寛容を求めた人もいるにはいました。しかし、残念ながら、動乱の16世紀に寛容な主張が多数意見になることはありませんでした。

キリスト教徒は世界の各地に進出して先住民に疫病をもたらし、収奪、搾取、殺害を繰り返しています。キリスト信者以外は人間ではないと思っていたのでしょうか。さらにキリスト教徒はアフリカ人を奴隷としてアメリカに連行して働かせました。その子孫の人たちへの差別は今も残っています。

ざっと歴史を見ても、感じるのは、ものすごい不寛容です。キリスト教の歴史は不寛容の歴史であり、不寛容に基づく争いの歴史だとも言えます。


クリスチャンにとって、三位一体の神だけが、唯一の神なのです。

聖書だけが、唯一の正典です。

イエス・キリストだけが、唯一の救い主です。

みな、唯一で、自分たちだけが正しくて他は間違いなのです。


過去を省みて謝罪や反省を表明した教派もありますが、今でも、特にプロテスタントの中に、その中でも特に福音派系に(その中でも特に「福音派」と称する原理主義者らに)、「自分たちだけが正しくて他は間違い」という人たちがけっこういます。


前にも言いましたが、プロテスタント(特に福音派系)が強く主張する、
「聖書は66巻である」
「信仰の論拠は聖書のみ」
「聖書は誤りなき神の御言葉」
「聖書の権威」
「日曜は安息日」
といった言葉は、聖書のどこにも書かれていません。
どこにも書かれていないのですから、もちろん、イエスはこういったことを教えていません。

「信仰の論拠は聖書のみ」と言いながら、聖書のどこにも出てこないことを言い張る矛盾をどう考えたらいいのでしょう。(そしてこの「信仰の論拠は聖書のみ」という言葉自体、聖書のどこにも出てきません。)


私たち現代人が、無理な解釈などしないで、どこまでも、ただイエスの教えに従おうとして進むならどうなるのでしょう。この世における不寛容と争いの教会に縛られるべきではない、となりそうです。

私は、聖書に書かれていないことでもそれが伝統的に受け継がれてきたことで、かつ、常識的に考えて悪くないことであれば、否定はしません。でも、教会の教えの中に、イエスが人々に伝えたメッセージに明らかに反する点があるなら、それに縛られるべきではないと考えています。

万人向けの考え方ではないかもしれませんが、突き詰めれば、最終的には、「教会はいらない、(教会が言う意味での)信仰もいらない」となるのかもしれません。

イエスが生きて活動した時代に、教会というものはありませんでした。教会というものがなかったのだから、「教会の教え」もありませんでした。

たぶん、どこまでも突き詰めて行けば、こうなるのでしょう。

「我もなく世もなく ただ主のみいませり」
(讃美歌529番)

黙示録のイメージです。
自分もなく、キリスト教やキリスト教会といったものを含めて世もなく、ただ主だけがおられる!

(伊藤一滴)

※1 
『ローマ帝国衰亡史』からの引用はウィキペディアの「ヒュパティア」の項からの再引用(孫引き)です。
これもウィキペディア情報ですが、「カキの貝殻」という語は「タイル」または「屋根瓦」とも訳せるそうです。昔のギリシャで、カキの貝殻が建築物の屋根などに使われていたので、窯業によって作られたタイルにも同じ語が使われたのでしょう。仮に、「カキの貝殻」ではなく「タイル(または屋根瓦)」だったとしても、「タイル(または屋根瓦)で生きたまま彼女の肉を骨から削ぎ落として殺害した」とギボンは述べているわけで、残虐な殺害であったことに変わりありません。
なお、ヒュパティアの遺体はバラバラにされて見世物にされた後、市の門外で焼かれたそうです。


※2 
「魔女狩りは,カトリック,プロテスタントを問わず,集団ヒステリーとして広がり,アメリカ新大陸にまで持ち込まれ 18世紀まで続いた(→セーレムの魔女裁判)。魔女狩りは 17世紀末から 18世紀初頭にかけて終焉に向かったが,強者が弱者を,また多数者が少数者を裁く異常な社会心理は,1950年代アメリカ合衆国のマッカーシズムにみられるように,現代にもその根を残している。」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「魔女狩り」)

「14世紀以降4世紀間にわたり,おびただしい犠牲者が“魔女”として裁判で血祭りにあげられ,特に宗教改革が起こった16〜17世紀,新旧両派によって行われ最盛期となった。しかし,1692年アメリカのマサチュセッツ州の「セーラムの魔女事件」を最後に,魔女狩りは急速に衰えた。」(旺文社世界史事典 三訂版 「魔女狩り」)


魔女狩りは、中世よりも、宗教改革が起こった16~17世紀に激しくなり、カトリック、プロテスタントを問わず広く行なわれています。プロテスタントによる魔女狩りやプロテスタントによる「異端者」の処刑も知らない程度の歴史認識で、他教派を非難するようなことは言わないでほしいですね。

魔女狩り以外にも、カトリックがやめた後もプロテスタントの一部が続けたものに、進化論否定や他宗教否定があります。
今日、カトリックや主流派のプロテスタント(リベラル)で、進化論を否定する人はまずいません。私が知る限り、進化論否定論は福音派系の教派(全員ではありませんが)と異端派の中に残りました。

第二バチカン公会議以降のカトリックは他宗教の価値を認めて尊重しつつ対話するようになっていますし、プロテスタント神学においても、有名なところでは晩年のカール・バルトやモルトマンなどに、また、パネンベルク、カブ、マーコリーをはじめ、多くの神学者に、キリスト教以外の教えの中にも真実性や救いを見出そうとする方向性があります。つまり、他宗教を否定した過去を乗り越えようとしているのです。

「キリスト教だけが正しく、他には一切救いはない」という考え方は、福音派の中の特に保守的な人たちや、自称「福音派」のカルト思考原理主義者らに残っています。

ジネント山里記: 福音派の謎・反カトリックと反進化論 (ic-blog.jp)

(伊藤一滴)


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