あれかこれかの二分法思考は危険 追記
福音派を名乗る人の中に「誰それは天国行き」とか「地獄行き」とか分けたがる人がいるのですが、それって、人間にできるのかって思いますね。
「あなたは、いつから神様になったの?」って、言いたくなります。
新約聖書に、穢れた人や罪びとが出てきますが、それは当時のユダヤ教の指導者が聖書(旧約聖書)の記述に基づいて判定したわけです。イエスは、当時、穢れた人・罪びとと判定されていた人たちに自分から接しています。
つまり、人間の判定と神様の判定はかなり違う、ということです。
自称「福音派」による救いと滅びの判別は、人間から見た判別です。神様の判別ではありません。「福音派」の牧師や信者が救いや滅びで人を脅しても、おびえることはありません。それはある種の人間の考えによる判別に過ぎないのですから。
聖書を素直に読むなら、神様は、弱い側、苦しんでいる側の人々と共におられます。
人を分けたがる、判別好きな人たちと共にいるのではありません。
イエスが厳しく非難したファリサイ派(パリサイ派)や律法学者と、「福音派」は実によく似ています。
細かいことにやたらこだわるわりに、大きなところが抜けているところまで似ています。
「福音派」って、つまり、現代のファリサイ派であり律法学者なんだろうって思います。
彼らは、とても真面目です、熱心です、本気で神様を信じてます、現代版のファリサイ派・律法学者ですから。
でも、どっちを向いて信じているんでしょう?
イエス・キリストはどっちにおられると思っているんでしょう?
目を覚ましてほしいと思います。
もともと真面目なのだから、目を覚ませば、きっと素晴らしい人になって、残りの人生を有意義に使うことができるでしょうに。
(伊藤一滴)
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