福音派の謎・反カトリックと反進化論
もちろん福音派のすべてそうだとは言わないが、福音派(自称も含む)の中に、かなり根強い反カトリックと反進化論の主張があるのがずっと気になっていた。
当人たちに直接聞いても、明確な答えを得られなかった。
私は、私なりに、ずっと考えた。
(1)福音派の中にはローマカトリック教会を強く非難する人がいるが、東方教会(正教会)をそれほど非難しない。なぜ?
カトリックの主張には聖書にない「間違った教え」が含まれるというのなら、東方教会だってそうだろうに。
(2)進化論を強く否定しながら、地球が丸いことや回っていることを否定しない。なぜ?
創世記の天地創造についての箇所を文字通り信じるなら、地球は丸いとか、太陽の周りを回っているといったことも否定すべきではないのか。
上記はどちらも歴史的経緯があるからだろう。
(1)については、プロテスタントはカトリックから独立し、カトリックとは激しく戦ったが、東方教会と激しく戦った歴史がない。どちらも福音派から見れば正しくない教えが含まれているのだろうが、東方教会に対しては非難めいたことをほとんど言わない。
かつて、福音派全体に反カトリック色が強かったという(今も一部に残っている)。だが、第二バチカン公会議以降のカトリックは他者との対話を重視するようになり、他の立場に理解を示すようになってきた。現代の福音派にはカトリックとの対話もみられる。
福音派の中の一部の超保守派や、「福音派」と自称する原理主義者やカルトたちは、今もカトリックを激しく非難している。彼らは立場の異なる他者と対話しないし、学ばない。自分たちの「信仰」は絶対に正しいと信じており、他者との対話の余地はないと考えているようだ。その姿勢はカルト的思考、あるいはカルト団体そのものである。
今日、カトリック教会についてどう思うか聞けば、穏健な福音派なのか原理主義系なのか、だいたい見当がつく。
次男が高校生の頃、高校の先生にプロテスタントの信者がいた。次男はその先生にこう聞いたという。
「プロテスタントの中にカトリックを悪く言う人がいるのはどうしてですか?」
先生は答えて言った。
「それは、現代のカトリックのことを知らないからでしょう。伝統的な違いがあっても、同じキリスト教です。伝統の違いはプロテスタント間にだってあります。カトリックの考え方を知れば、悪くなど言えなくなるでしょう」
この答えは当たっていると思う。超保守派、原理主義者、カルトらは、カトリックを知らないから悪く言う。そして、知ろうともしない。彼らのカトリックについての知識は主に、悪意ある誤解が混じった不正確な伝聞や、不正確な本から得たものだ。「それは違います」「それは誤解です」と言っても、聞く耳を持たない。
(2)は、かつて高等批評や自由主義神学が、進化論と結び付けられて論じられたのと関係しているようだ。19世紀、そして20世紀になっても、生物の進化の発展段階のように、宗教にも発展段階があったと進化論的に論じられた。宗教の発展段階は、実際にあったと私も思うが、それを進化論と結び付けるべきではなかった。両者の関連付けは進化論にとっても不幸であった。進化論は純粋に生物学上の話であって、人類の文化や歴史、社会の諸現象とは別の分野の話だ。
聖書信仰に立とうとする人たちは、神に対する信仰は、初めから正しい信仰であり、信仰に進化論を当てはめるべきではないとして、聖書学や神学を進化論的にとらえることにも、進化論そのものにも反発した。
「宗教に進化論を当てはめるべきではない」と、私も思う。宗教だけでなく、文化、歴史、社会の諸現象一般と、進化論を結びつけてはいけない。だが、それをもって進化論それ自体まで否定すべき対象になるのだろうか。
最近知ったのだが、福音派の源流とも言える20世紀初頭のファンダメンタリズム(原理主義)は、反進化論一色ではなかったという。ファンダメンタリズムの語源となった伝道冊子「ファンダメンタルズ」(The Fundamentals: A Testimony to the Truth)の執筆者の中には進化論者もいたという。当時の原理主義者たちは、キリスト教の原理(根本)を守ることに一生懸命であったが、進化論の是非にあまりこだわっていなかったようだ。
その後、キリスト教に進化論を当てはめることへの反発と、リベラルとの対立の中で、反進化論が福音派に広がってゆく。
ただし、福音派も一枚岩ではないから、福音派はみな反進化論者というわけではない。時代や地域による違いもあるだろう。それが率としてどれくらいなのか、私は知らない。
限られた経験だが、私がこれまで出会った福音派(自称も含む)は、進化論についてどう思うか、かなり温度差があった。
日本においても、近年、反進化論の強い主張をあまり聞かなくなった。たとえば、いのちのことば社も、近年は反進化論本を出さなくなっている。方針の変化だろうか。反進化論本を出しても、伝道に役立つこともなく、世間からもエキュメニズム派からも奇異に見られるだけで、メリットがないと判断したのだろうか。
1980年代の、日本の福音派の一部の、激しい進化論批判を知る私は、時代の変化を感じている。
進化論とは異なり、地球は丸くて回っていることは信仰の脅威とは見なされなかったようだ。むしろ、ガリレオ裁判に見られるように、カトリックを非難するのに使うことができた。
福音派(自称を含む)には、進化論には反対だが、地球は丸くて回っていることを認める人が一定数いるようだ。それは、「聖書を文字通り信じるから」というより、こうした歴史的経緯によるのだろう。
私は、創世記の天地創造についての箇所を文字通り信じるなら、進化論を否定するだけでなく、地球は丸くて回っていることも否定しないと主張が一致しないと思うのだが。
誤解されるといけないから言っておくが、進化論に否定的な人はみなタチの悪い原理主義者やカルト、というわけではない。
心優しく善良なクリスチャンの中にも、進化論に否定的な方々がおられる。
前から言っているとおり、進化論についての自分の思いを正直に書くと、そうした、私に親切にしてくださった心優しいクリスチャンたちの顔が浮かんできて、胸が苦しくなる。恩人を悪く言うようで、申し訳ない。だが、私は、自分の考えを偽ったり、あいまいにしたりしたくない。
福音派を名乗る人に、「カトリック教会についてどう思うか」を聞けば、穏健な福音派なのか原理主義系なのかの判別になる。だが、「進化論についてどう思うか」は、そうした判別には使えない。
もちろん、人の考えは、変わってゆくこともある。
今のその人の考えが、今後もずっとそうだとは限らない。
(伊藤一滴)
付記
Quoraにあった「進化論はおかしいという主張をどう思いますか?」への回答は、実に興味深い。
https://jp.quora.com/shinkaron-ha-okashii-toiu-shuchou-wo-dou-omoi-masu-ka
以下は、日本語版ウィキペディアの「原理主義」の項から注を省略して引用。
引用開始
19世紀後半、チャールズ・ダーウィンの進化論に代表される近代知の発展とキリスト教信仰の間に齟齬が生じると、近代に沿うように自由主義神学(リベラリズム)が生まれ、聖書は科学ではなく、聖書に記載されたイエスの復活などの奇跡は喩えであるとした。これに対して、聖書を字義通り信じることを信仰の核とする伝統主義神学の側から強い反発が起き、1910年から1915年にかけてアメリカ合衆国で伝統主義神学の主張をまとめた12冊の『ザ・ファンダメンタルズ』(原理・根本)と題した冊子が出版され、自由主義神学に対する抵抗が広がった。1920年に「ファンダメンタリスト」(原理主義者)という言葉が作られ、攻撃的なまでに伝統的信仰を維持しようとする勢力を呼ぶようになった。
かれらファンダメンタリストをもって自ら任じた人々の主張は、以下を伝統的なキリスト教の五つの根本(ファンダメンタルズ)とみなす認識や信条に基づいていた。
1.聖書の無誤性
2.イエスは母マリアの処女懐胎により誕生
3.代償的贖罪の教理(イエスの贖罪死)
4.イエスの体の復活
5.イエスの再臨
引用終了
ファンダメンタリストは上記の5つを主張する。ただし、逆は言えない。上記の5つを主張する人たちはみなファンダメンタリストだとは言えない。
また、上記の5つの原理(根本)を認めるにしても、解釈に幅がある。
たとえば、聖書は無誤だというのは「信仰や生活の規範として聖書は正しい、そういう意味で聖書は無謬である」が、「歴史的にも科学的にも誤りがないという意味での無誤ではない」という解釈も成り立つ。
地球についてですが久保有政さん
の説明はどうでしょうか。
ご存じだったらすみません。
久保有政さんのセカンドチャンス論など
には賛成できませんが、地球の考察
は問題ないのではと思います。
https://remnant-p.com/kagaku01.htm
投稿: たけ | 2022-06-02 18:44
佐倉哲さんのホームページ「聖書の間違い」に、久保さんへの反論がいろいろ載ってます。
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/errors.html
よろしければご覧ください。
久保さんの「聖書的セカンドチャンス論」はなかなかおもしろい本でした。引用されている聖書の箇所を何度読んでも、私は、「平たい地上の下は下界で、地上の上に半球型の天が載っている3層の地球」を感じました。古代人はそういうイメージで聖書を執筆したのでしょう。
お便りありがとうございました。
一滴
投稿: 一滴 | 2022-06-17 10:44
情報提供ありがとうございます。
参考にさせていただきます。
投稿: たけ | 2022-06-17 18:07