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キリスト教の最高の権威は

「キリスト教の最高の権威は聖書です」
と言う人がいた。

違う!

キリスト教における最高の権威は神である。
父と子と聖霊という、三位一体の神こそがキリスト教の最高の権威である。

聖書は、神について、人間の言葉で証しした文書であり、かつ、神と人との契約を人間の言葉で記した文書である。だから、旧約、新約なのだ。かつて永井直治は「新契約聖書」と表記した。旧契約に対する新契約だからだ。

もし、人間の言語で記された聖書という文書が最高の権威なら、最高の権威を他のものに置き換えることなどできないのだから、翻訳も許されない。翻訳は他の言語への置換である。置換すればどうしてもズレが生じる。ズレてもよい最高の権威など、ありえない。

もし、聖書が最高の権威なら、聖書は原文のままで礼拝する対象であり、翻訳の対象ではなくなってしまう。

「キリスト教の最高の権威は聖書」と主張する人たちは思い違いをしている。

(伊藤一滴)

 

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