« 4月の雪 | メイン | 原理主義者やカルトの思考・主張 »

「令和」は暗号?

令和は「うるわしい平和」という表の意味だけでなく、別の意味も併せ持つ暗号ではないかと思えてきた。

令和の「令」という字は、一度も和暦に使われたことがないという。「律令」や「法令」の令である。「和」は、日本という意味でも使われる。「令」を、法令という意味に解釈すれば、法令日本、と読める。「令」を「りょう」ではなく「れい」と読ませているのも、「法令」を意識してのことかもしれない。

私の勝手な想像だが、これは、憲法を頂点にした法令の規定をなし崩しにして安保法(=戦争法)まで強行採決した安倍さんとその仲間たちへの抗議の年号ではないのか。
日本国憲法を守ると明言なされた天皇陛下、陛下のお気持ちを重んじる皇太子殿下、そして護憲派の万葉学者らの思いを察するならば、決してありえない解釈ではない。

出典とされる万葉集の序文は、類似する中国の文献があるので、純粋な国書とは言い難い。ただし、出典が万葉集である以上、政権側は国書と言い張ることができる。一応、政権側の顔を立てた、ということか。
「国書、国書と言ったって、源流は中国ですよ」という漢籍や国文学の専門家たちの声が聞こえてきそうだ。

令和の出典は、大宰府で大伴旅人が催した観梅の宴で詠まれた歌の序文にある。大宰府は中国大陸や朝鮮半島との交流の玄関口であったから、「大宰府」と聞けば、中国や朝鮮との交流を連想する。ここにも、中国や韓国を嫌う安倍さんとその仲間たちへの抗議を感じる。また、大伴旅人は、藤原氏が権力をふるう政治に不満を持っていたわけだから、これは、特定勢力が政治の実権を握る状況へ不満を持つ人の言葉からの引用である。

しかもここに収められた歌の中で、大伴旅人自身は、「吾が苑に梅の花散る~」と、梅の花が散るさまを詠んでいる。世が世なら、縁起が悪いと却下されたかもしれない年号である。
想像のし過ぎかもしれないが、安倍政権を散る梅の花に見立てた、隠された意図があるのではないかとさえ思えてくる。(令和の「うるわしい平和」という表の意味だけも安倍政権への批判になっているが)

令和が暗号ではないかと思える点が他にもあるが、関係者にご迷惑をかけてもいけないので、これ以上のことは私の胸の中に収めておく。

令和という年号の不自然さを指摘する声もあるが、これを、安倍政権批判の暗号としての意味も持つと考えれば、すべて説明がつく。

だとすれば、政権側の人たちが、自分たちを批判する年号を使わないといけないという、たいへん皮肉なことになる。

(伊藤一滴)

補注:念のため「令和 政権批判」で検索したら、やっぱり出てきました。

https://blogos.com/article/369256/
「安久」とか「安永」といった予想されていた年号が本命だったとは思いませんが、首相は実際に「安〇」や「〇安」を、皇室に打診していたのかもしれません。上記記事では、これをつぶしたのは皇太子殿下とみていますが、真相はわかりません。
私は、「安〇」または「〇安」案を示した首相または関係者に、現天皇陛下も次期天皇陛下も思い切り不快な顔をなされたのではないかと、勝手に想像しています。

https://lite-ra.com/2019/04/post-4640.html
「安倍首相「令和は国書典拠」自慢の間抜け! 大元は中国古典で作者の張衡は安倍政権そっくりの忖度政治を批判」
だそうです。

https://galapgs.com/economics/politics/domestic/meaning-of-reiwa/
「東京大学教授の品田悦一氏は「令和」には、「権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない」という意味が込められていると解説しています。」
とのことです。

平成のときは、平成というのは政権批判だなんて声はまったく聞かなかったのに。
「令和が政権批判だなんて妄想」と、簡単に片づけられませんよ。

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。