「ブラザーサン・シスタームーン」を観る
暑い夏がやってきました。いくら山里暮らしでも、昼間は暑いです。
遠くの高校で寮生活をしている長男が夏休みで帰ってきたので、妻と私と長男の3人で映画「ブラザーサン・シスタームーン」のDVDを観ました。観ている途中、妻は声をあげて泣き出し、私はエンディング曲が流れる中で目がうるんできました。やはり、名作と言われる作品だけのことはあります。
史実の通りではありません。でも、アッシジのフランチェスコ(=アシジのフランシスコ)の生き方を描いた傑作だと思いました。実際、フランチェスコは、戦争に行って病気になりました。やがて劇的に回心し、自然を愛し、平和を愛し、福音に忠実に生きようとした人でした。福音に忠実であろうとすれば、当然、自然や平和を重んじる生き方になるのかもしれません。彼は、理想の実践者、今日のエコロジー論や非戦論の先駆者とも言えます。
史実では、フランチェスコが戦争から帰った頃、クララはまだ10歳以下で、映画で描かれているような成人女性ではなかったはずです。映画では、皮膚病の人たちにパンを運ぶクララの姿にフランチェスコが感化されたように描かれていますが、実際は、フランチェスコが皮膚病の人たちの世話をしているという話がクララにも伝わり、クララの側が感化されたのではないかと思います。
アッシジの司教も、映画では悪く描かれていますが、実際はフランチェスコの理解者でだったようです。フランチェスコは司教の前で衣服まで脱いで地上の財産をすべて捨てると言いました。司教は、フランチェスコを保護しようとして自分のマントを与え、後にフランチェスコがローマ教皇と面会できるよう協力したと伝えられています。
そうした史実との違いはともかく、フランチェスコが自然を愛し、平和を愛し、福音に忠実に生きようとしたのは事実であり、アッシジの自然の中で生きる彼の姿が、実に美しく描かれています。
フランチェスコの足元にも及びませんが、私も、大自然の中で暮らしています。自然環境や平和は大事だと思うし、福音書に書いてある空の鳥や野の花のように、思いわずらわず、着飾らずに生きていけたら、それが一番いいと思っています。
下記のテーマソングをいろいろな方が日本語に訳しておられます。一見、簡単な英語に見えますが、なかなか訳すのは難しいです。
Brother Sun and Sister Moon
I seldom see you, seldom hear your tune,
preoccupied with selfish misery
Brother Wind and Sister Air,
open my eyes to visions pure and fair,
that I may see the glory around me.
I am God's creature, of Him I am part.
I feel his love awakening my heart.
Brother Sun and Sister Moon
I now do see you, I can hear your tune,
So much in love with all that I survey.
直訳調からかなり意訳したものまでいろいろな訳があり、美しい日本語もありますが、
"I am God's creature, of Him I am part."
という箇所の、納得のいく訳を見たことがありません。of Him I am part は倒置法で、普通の文にすれば I am part of Him ですけれど、無冠詞の part をどう訳すか、です。もちろん Him は神です。
「神の一部」とか「神が宿る」といった訳には、違和感があります。私なら、「神の側に立つ者」とか「神の御心の担い手の一人」とでも訳すでしょう。
(以下は、伊藤一滴訳)
兄弟である太陽よ、姉妹である月よ
あなた方の姿を見るのは稀であり、あなた方の正しい調べを聞くのも稀です
自分勝手な苦悩に支配されているのです
兄弟である風よ、姉妹である大気よ
私の目を開いて、純粋に公平にものが見えるようにしてください
そうすれば自分の周りの栄光が見えるでしょう
私は神によって造られた者、神の御心の担い手の一人
私の心を目覚めさせる神の愛を感じます
兄弟である太陽よ、姉妹である月よ
今、まさに、あなた方の姿が見えます、あなた方の正しい調べを聞くことができます
見渡す限りのすべてのものと共に、溢れそうな愛の中に
(伊藤一滴)
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