やはり伝統民家は冬の時代ですが
家の周りのコンクリートの撤去工事は、なるべくお金をかけずにやりました。下から出てきた割栗石の始末などは自分でやることにして積んであります。そのうち自分でカラ石積み(モルタルを使わない石積み)の石垣を積むなどして、じねんと使っていこうと思います。
わが家は戦前の建物ですから、一応「古民家」ですが、昭和になってから建ったもので、古民家としてはわりと新しいです。それでも、玄関(戸の口)から入ると土間があり、板の間があり、板の間には囲炉裏があり、奥に座敷があるという、伝統的な形式です。もちろん縁側もあります。
息子の友だちが遊びに来るとおもしろがってます。特に囲炉裏が珍しいようです。
私は、住宅に新建材を多用することや高気密化することには以前から反対してきました。
一番の理由は住む人の健康ですが、長期使用に適さないと思えたし、日本の伝統文化に反するというのも理由でした。
これまで約20年建築に関わってきましたが、日本の木造住宅は、私が理想と思う方向の逆に逆にと進みました。
それでも2007年の建築基準法大改正(実は大改悪)までは、基礎などを別とすれば、一般の大工さんが伝統工法で木造住宅を建てることも、法律・金銭の両面で不可能ではありませんでした。
それが、わずかの間に、至難の業になりました。法令をすべてクリアするための労力を考えたら、地方の小さな業者はまるで見合わなくなりました。地方の小さな業者こそ、いい職人がいていい仕事をしていたのに!
よほどのお金持ちならともかく、一般庶民が伝統工法の木造住宅を都市計画区域内に新築するというのは、絶対に不可能とは言いませんが、かなり難しくなりました。
木造住宅を新築しようと思ったら、テレビでおなじみのハウスメーカーに頼むしかないような、そんな状況です。
最近の家は、まるで要塞です。外材の集成材と、ベニヤ合板と、合成樹脂と、コンクリートその他からなる要塞です。
要塞ですから、外と内とを、きっぱり分けています。
土間や縁側といった外と内とがあいまいな部分が追放されました。
素材は外国産、デザインは何となく洋風っぽいけれど正規の洋式でもなく国籍不明。その地域の住居の伝統とは無関係です。
地元で育った木材で地元の職人が家を建てるというのも過去の話になりました。
近頃は、農家の家までそうした現代的住宅になってしまって、泥靴のまま入ることもできなければ、縁側に腰をかけてお茶を飲むこともできなくなりました。農作業も機械化が進み、泥まみれになる作業が少なくなったし、土間や縁側でやる作業もなくなってきた、というのもあるでしょう。でも、それだけでなく、農村では昔ながらの伝統的な家は「遅れている」と思えてかっこうが悪いと感じる人が多いようです。若い人はそれほどでもないのですが、実際に建築にお金を出せる人(ある程度の年齢の人)は、都会風・現代風なものへの憧れが強く、伝統建築にあまり価値を感じていないようです。
そんな話を知り合いの業者にすると、
「若い人や都会の人は民家で苦労してないんだよ。このへんの年配の人は民家の不便さを思い知っているんだろう。いやな思い出もあるんだろう」
と言われました。
それは民家が悪いというより時代が悪かったのでしょう。
いやな思い出だけでなく、いいことだってたくさんあったろうに、と思うのですが。
それに、農家のおしゃれな応接間に米袋が置いてあったり、おしゃれな洋風の外壁の近くにダイコンやハクサイが干してあったりするんですけれど。
私がいいと思う住宅建築のあり方が、法律や、いろんな面で否定されてゆくというのは、正直なところ、しんどいです。
私が住宅の設計をやめたのは、もう思うような設計ができなくなってきたし、我慢してやっても、その労力を考えたら見合わなくなってきたからです。無念の思いでした。ファシズムや社会主義の時代に断筆した人はこんな気持ちだったのだろうか、なんて想像しています。
伝統民家は冬の時代です。商売にするのは難しいけれど、自分自身が家族と民家に暮らすことはできますから、私は山里の民家暮らしをしながら農作業を続けます。法律は人をかき回しますが、田んぼや畑は人を裏切りません。
正直に言えば、木造住宅の設計に未練もあります。建築をがんじがらめにする悪法が改廃され、まっとうな木造住宅を建てられる日が来れば、そのときは、また木造住宅の設計をやりたいです。(伊藤)
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