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飽食日本と農村

朝、ラジオを聞いていたら、中国地方の山里の便りが紹介されていました。その内容は、便りというより悲鳴に近い深刻なものでした。
1度耳で聞いただけなので、細かい点まで言葉どおりの引用ではないのですが、大意としては次のような内容でした。

中国地方の山里は人口減少も高齢化も止まらない、国は地方の実情をふまえずに農地の集約化・大規模化を進めており、零細農家は困っている。なんとか田畑を守ろうとする人たちも高齢化が進み、数年先やっていけるかどうかもわからない。農地の耕作放棄が拡大し、荒れていく。農地の集約化政策は耕作放棄の歯止めになっておらず、農地の荒廃は止まらない。それでいながら、世界中から食糧を買う日本。食糧自給率40パーセント以下なのに、ありあまる食べ物を無駄にしてかえりみない飽食の日本。食卓に上る冷凍食品までが外国製。家庭の台所の手間を極力減らし、その手間を食品産業に、とりわけ中国の工場労働者に肩代わりさせる日本。とまあ、そんな内容でした。

農村、特に山間部の苦境は、中国地方も東北地方も変わりません。
家庭の台所の手間を極力減らし、それを中国の労働者に肩代わりさせれば、日本の家庭は余裕ができて幸せになるのでしょうか?
今の日本の子育て世代は、夫は長時間労働、妻はあまりに多忙。少しでも時間を節約したいところに加工食品がうまく入り込んでいる、ということなのでしょう。

「産業立国日本」も「国際分業」も、未来に向かって安定的に持続するとは思えません。
「合理的」な大量生産システムは供給過剰を招きました。国内市場は飽和状態に近くなり、大企業は海外に売ることで利益を上げていますが、それだって、いつまで続くのか。少子化が進めば、ますます国内市場は小さくなるだろうし、何より、次の世代を担う人が育ちません。農家の後継者や、手作りの物を作る職人が育たなくなってきたのは以前からですが、このままいけば、高度な産業技術や大量生産システムを指揮する技術者だって育たなくなるでしょう。そもそも若年層が減り、しかも生産工場は外国にあるのですから。
産業立国も国際分業も不可能になる日がいずれ来ます。

今の日本は、国際分業方式で、ガラス細工のような脆弱なシステムの上に、食糧、資源、エネルギーから、日常の生活必需品まで海外に依存していますが、このガラス細工のどこかが欠ければ、将棋倒しのように破綻が連鎖して、食糧と物資がいっぺんに不足するだろうと予測されます。
それが30年後か、50年後か、100年後か、なんとも言えませんが、私が生きているうちにそういう時代が来る可能性もゼロではありません。

地方の農村は、今は大変だけれど、がんばりどきだと思います。
たとえ産業が破綻する日が来ても、集落があり、基本的な食糧や日常の物品を自給できれば、それで生きていけるのですから。それに、たとえそんな日が当面来なくとも、農村の集落の一員になってつつましく生きるのは、それはそれで幸せです。子育て中の私たち夫婦も、近所の人たちや自然環境のおかげでうんと助かっています。農村の住みやすさに気づき、帰ってくる若者や移住してくる人たちもいます。今はがんばりどきだと思います。(伊藤)

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