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山里に春が来る 2014

毎年同じような繰り返しですが、今年も山里に春が来ます。 この冬は雪が少なくて助かりました。それでも、家の1階が雪に埋まりました。でも、それくらいで済みました。前の冬は、2階の庇(ひさし)に雪が達して、さらに降ったら2階の屋根も全部埋まるんじゃないかと心配になって、必死で掘りました。もう雪を降ろす場所などなくて、雪おろしではなく雪堀りでした。あのときは、自然の恐ろしさを感じました。まあ、まれな大雪だったとのことですが。

今年は雪が少ないのに、寒い日が続き、春が遠い感じがしていました。それでも春は来ます。 馬の背が出来ました。

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馬の背については下記をご覧ください。

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2006/03/post_0cbd.html

毎年のことですが、冬は車で家まで行けないので、公道から約100メートルの雪の山道を家まで歩きます。 新雪なら、雪が深くともカンジキで踏んで歩くんですが、馬の背が出来ると歩きにくいです。雪解けまで、少しの間ですけれど。

(伊藤一滴)

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旅立つ息子へ

 第一志望の高校合格おめでとう。本当におめでとう。 よくがんばりましたね。 お父さんもお母さんもあなたの希望を尊重してきました。 あなたが自分で決めたとおり、4月から家を離れ、遠くの高校で寮生活が始まります。 お母さんは、ちょっと寂しいようです。 お父さんは、自分の旅立ちのときのことを思い出していました。お父さんは高校を卒業後に家を出て、仙台市内の予備校の寮に入ったんです。1983年の春でした。不安でしたよ。でもね、新しいことを始める期待もありました。お父さんはB高校の出身で、当時は学力が低いと見られていた高校でした。あの頃B高校から大学に進学する生徒は少なくて、授業も受験対応になっていなくて大変でした。それでもお父さんは自分の未来に船出したんです。一浪して大学に進み、大学4年のときにあなたのお母さんに出逢いました。志望大学に落ちたときは悔しかったけれど、結果、素敵な出逢いがあったのです。人生って、塞翁が馬です。 あなたはお父さんの旅立ちのときより3つ若いけれど、今までのあなたを見ているから、あまり心配はしてません。 お父さんは今までうるさいことは言いませんでした。「勉強しろ」とも言いませんでした。ただ「紳士的であれ」とだけ言ってきました。紳士的とは、ずるいことをしない、自分の利益ための嘘はつかない、言動に責任を持つ、礼儀正しくふるまう、相手の立場を尊重する、特に弱い立場の人に配慮する、その他いろいろ、人はこうあるべきだということが含まれるのです。

旅立つあなたに歌を贈りましょう。お父さんが大好きな歌で、古い英語の讃美歌です。

♪ I would be true, for there are those who trust me; I would be pure, for there are those who care; I would be strong, for there is much to suffer; I would be brave, for there is much to dare; I would be brave, for there is much to dare.

I would be friend of all - the foe, the friendless; I would be giving, and forget the gift; I would be humble, for I know my weakness; I would look up, and laugh, and love and lift. I would look up, and laugh, and love and lift.

(私訳) 真実な人になれたらいい、私を信頼してくれる人たちがいるから。 純粋な人になれたらいい、私のことを気にかけてくれる人たちがいるから。 強い人になれたらいい、苦しいことがたくさんあるから。 勇敢な人になれたらいい、勇気を出してすべきことがたくさんあるから。 勇敢な人になれたらいい、勇気を出してすべきことがたくさんあるから。

すべての人の友になれたらいい、敵対する人たちの友に、友だちがいない人たちの友に。 人に差し上げ、贈り物のことなど忘れてしまう人になれたらいい。 つつましい人になれたらいい、自分の弱さを知っているから。 上を見上げ、笑い、愛し、向上してゆく人になれたらいい。 上を見上げ、笑い、愛し、向上してゆく人になれたらいい。

お父さんはこの歌のとおりに生きているわけではないけれど、この歌が掲げている理想が好きです。こういう理想に近づきたいと思っています。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」も大好きですが、この歌も大好きなんです。

近くにお父さんやお母さんがいなくとも、学校の仲間や先生とよく話をし、自分で考えて判断してください。時々は家に手紙も書いてください。 あなたは、あなたの道を歩むのです。 あなたにふさわしい道が開かれるよう、祈っています。 父より

(伊藤一滴)

 

パソコンを買い替えました

1990年代の初め、NECのPC-9801が主流だったときからパソコンを使っていますが、ずいぶん変わりました。 処理能力も記憶容量も比べものにならないくらい巨大化し、機械や媒体は小さくなりました。最初に買ったパソコンは当時のお金で約40万円したのですが、ハードディスクが内蔵されておらず、フロッピーディスクのドライブ装置だけでした。今では考えられないような話ですが、当時はフロッピーディスクだけでパソコンを動かすことが出来ました。一太郎などのワープロソフトも、図面を描くためのCADのソフトも、フロッピーに入っていたのです。作成した文書や図面の保存もフロッピーでした。ハードディスクも売られてはいましたが、40メガバイト程度で(40ギガバイトではありませんよ!)しかも高価でした。それが100メガ、500メガ、1000メガ(=1ギガ)と、数年でどんどん大きくなって価格も下がってゆきました。私は、安くなったと思って500メガのハードディスクを買ったのですが、それでも5万円くらいでした。90年代の半ばに1ギガバイトのハードディスクが発売されたときは、そんな巨大な容量を一体何に使うのかと思ったものですが、今、人の指や爪ほどのメモリーに何ギガも入る時代を迎え、感無量です。 ウィンドウズ以前のOSはMS-DOSが標準的でした。MS-DOSは使いにくく、操作が楽なマッキントッシュ(Mac)も買って用途に応じて使い分けていました。Macは使いやすいのですが動作が不安定で、その割に高価で、しかも、実用的に使える業務用のソフトも限られていました。世の中はバブルで、お金のことなどあまり気にしませんでしたが、今思えば、パソコン関係にはずいぶんお金を使いました。 あれから20数年経ち、上記の話など昔話のようになりました。

私は今、パソコンを買い替えたことによる嬉しさのようなものが、あまり感じられません。処理能力も記憶容量も巨大化し、機械や媒体は小型化しています。価格も驚くほど安くなりました。でも、それほど嬉しくないのです。 一つは、自分で設定して自分のパソコンにしていく喜びが薄れています。ユーザーはメーカーが組み込んだものをただ使うだけのようになりました。誰でも使える機械になり、使いこなす技術を磨いて向上してゆく喜びのようなものが感じられません。90年代の初め頃はパソコン通信につなぐのも一苦労でしたが、当時は、わりと紳士的な会話がなされていたように思います。それが誰でも参加できるインターネットに代わり、ネット上には暴論や犯罪も渦巻くようになりました。 自分でプログラムを組むこともなくなりました。90年代は、簡単なプログラムを自分で組んでいたのですが、もう、専門家でないとプログラミングができないくらい難しくなりました。しかもいろいろなソフトが初めからパソコンに入っているし、市販品もあるし、無料で入手できるものも多く、自分でプログラムを組む気も失せました。なんだか自分自身が、指定された電子制御に組み込まれていくような感じで、パソコンを使うことに息苦しささえ感じます。 私は、人をがんじがらめにする世の中に抵抗してきたつもりですが、日本中の大多数の人が使っている機器を自分が使わないのも不自由で、電子機器に縛られる不快さを感じながらも、どのあたりが妥協点か、迷っているところです。電子機器による支配を批判する言説を、電子機器そのものであるパソコンを使ってインターネット上に書くというのも矛盾なのですが、いまのところ、仕方ないです。

2005年4月、このブログを始めたばかりの頃に「パソコンで失う時間」というのを書きました。

http://yamazato.ic-blog.jp/home/2005/04/post_c0f1.html

9年たっても私が言いたいことは何も変わりません。状況はもっと悪くなっているかもしれません。 (伊藤一滴)

 

高校受験の息子へ

 あなたが生まれた日のことを昨日のことのように覚えています。 小さく生まれて、元気に育ってくれましたね。 初めての子どもで、お父さんもお母さんも戸惑うことも多かったのですが、いろいろな人たちから助けられてきました。あなたのそれぞれの祖父母に、地域の人たちに、保育園や学校の先生方に、またお医者さんにも助けられ、今日まで来ました。本当に、いろいろな人たちに感謝しています。 あなたはもうすぐ義務教育を終えようとしています。努力家で、人を悪く言わない子に育ってくれたことを、嬉しく思います。ありがとう。

高校を目ざすあなたは、いま、大変な時だと思います。時代は違いますが、お父さんも受験勉強というものを経験しているので、自分の経験で考えても、受験生は本当に大変だと思います。

日々せまってくる受験のことで頭が一杯かも知れません。人生そのものが孤独な戦いのように思えているかもしれません。

たしかに、今は戦いの時です。でもそれが一生続くわけではありません。受験勉強というものは期間限定で、しかも、人との戦いというよりは自分自身との戦いです。自分の望みを未来につなぐための戦いと言ってもいいのです。

お父さんは、人生の大部分は、他の人との協力だと思っています。協力し合って自分も相手もより良くなってゆく、そういうものだと思っています。いいですか、人生の大部分は人との協力です! 戦いは、人生の中のある一面でしかありません。しかも自分との戦いです。人生そのものが、周りを敵にして戦う孤独な戦いの連続ではありませんから、どうか、誤解しないで下さいね。

さて、あなたは何のために勉強するのですか? まわりの人たちが勉強しているからですか? 学校から言われるからですか? 将来の収入のためですか? 何のために勉強するのですか? 今は、受験のことで頭が一杯で、「高校に進みたいから勉強する」としか答えようがないかもしれません。でも、高校合格は最終の目的ではありません。高校に行ってからも勉強は続きます。高校に進むのは、次の勉強のためのスタートとも言えます。 そもそも、あなたは何のために勉強するのか、考えてみたことがありますか?

大人たちは、いろいろ理由を言うだろうと思います。 おそらく、すべての人が納得する理由を、一つだけ挙げることは出来ないと思います。 ですから、今から言うことはお父さんの個人的な考えです。先生方がおっしゃることとは少し違うかもしれませんが、こういう考えもあるのだと思って聞いてください。

人生の大部分は他の人との協力だと言いました。人が互いに協力し合うためには、知識も思考力も必要です。ものを知らず、考えずに、相手を理解することは出来ないし、協力し合うことも出来ません。これが、勉強が必要な理由の一つだと思います。

間違った思い込みから解放される、というのもあります。想像してみてください。もし、お腹が痛くなったらどうしますか? 痛みがひどければお医者さんの所にいきますよね。まさか、痛いのは誰かの呪いだとか、祟りだとか、悪魔の仕業だとか、思いませんよね。それは知識があるからです。その背後には、人類の勉強の積み重ねがあるからです。 学びがなければ、闇の中を歩むことになります。勉強することで世界は広がり、間違った思い込みから解放されてゆくのです。 今の話は一つの譬えに過ぎません。実際は様々な間違った思い込みからの解放があるでしょう。世の中にも、あなたにも、この私にも、思い込みはあるでしょう。だから、正しく考えて自由になるために、さらに勉強が必要なのだと思います。

でもそれは、すべての勉強には当てはまらないのではないか、受験勉強は、単に入試のためのもので、実社会ではほとんど役に立たないのではないかって、言われそうですね。 私も、過去には受験生でしたから、そう思う気持ちはよく解ります。たしかに、勉強の中には、そのまま直接は実社会で使わないような分野もあります。しかし、私はこれまで生きてきて思うのですが、中学や高校で勉強したことは、ものごとを考えるときに、筋道をたてて考えてゆくのに役立っています。社会の中で、それをそのまま使うわけでなくとも、ものごとをきちんと考える訓練として役に立っています。

私自身、至らない点はたくさんあるし、それを承知で言うのですが、受験勉強も含めて、すべての勉強は、自分の足元を照らし、周りを照らし、そうやって自由になり、相互に理解し合い、自分も相手もより良くなってゆくための過程であり道具であると考えています。だから、単に知識を詰め込むだけでなく、思考が必要で、哲学も、道徳も必要なんです。

「なぜ勉強しないといけないのか」と思うときは、今の話を思い出してみてください。

自分が目ざす進路に一心に向かって行って下さい。恐れることはありません。勉強は、自分も含むみんなをよりよくするための道なのですから。

あなたの健闘を祈っています。 父より (伊藤一滴)

ブログ再開

ブログ再開が非常に遅れたことを、まず、お詫びします。 あまりにも忙しい状態でした。

長男が中3で、受験生の親という立場を経験しました。 平常心を心がけました。 しかし、返却された模擬試験を見せてもらったりすると、何でこんな間違いをするんだと思う箇所がいくつもあり、平常心を心がけるのは大変でした。

長男に向かって「勉強しなさい」と言ったことはありません。(勉強しろと言われた子どもが、言われて勉強するようになったなどどいう話は聞いたこともありません。) 私も妻も勉強しろなんて言っていないのに、長男は毎晩猛勉強です。「もうそれくらいにして休んだらどう」と言ったことは何度もあります。毎晩毎晩、夜遅くまで勉強する息子が、なんだか、かわいそうでした。

昨年の春に中学校のPTAの役員を頼まれ、お断りしようとしたのですが、「そこを何とか」と強く頼まれ、仕方なく引き受けました。引き受けた以上は責任があり、時間の確保と、学校と保護者の調整が大変でした。 でも、いい経験になりました。 中学校の実体を見ました。 中学生も、中学教師も忙しすぎます。保護者もです。 ミヒャエル・エンデの名作「モモ」に出てくる灰色の男たち(=時間泥棒)に取り囲まれているような感じです。 そして保護者の中にも温度差のようなものがあります。 部活動重視、受験勉強重視、生活体験重視、その他、何を重視するかですが、それぞれの保護者が重んじるものが食い違い、なかなか、かみ合いません。 PTAの役員は学校と保護者相互の板ばさみになります。少子化で、学区が広域化しているのもありますが、小学校の時とは違うなあ、と思いました。

パソコンの不調は、ソフトもハードも古くなりすぎて、今のインターネット環境に対応しにくくなってきたせいでした。故障でもウイルスでもありませんでした(パソコンは古くとも、最新のセキュリティーソフトを入れ、常時更新していました)。 私自身は買い替えの必要など感じていないのに、対応しにくくして無理やり買い替えさせるのが今のやり方です。10年使ったパソコンですが、買い換えることにしました。 パソコン業者にすぐに来てもらえるような場所ではないし、私も忙しいし、しばらくブログをお休みしてました。 やっとパソコンを入れ替え、中のデータも移してもらってようやくブログの再開です。

その間、世の中を見ていると、 理屈より、単に威勢のいいことを言う人たちが力をつけてきたような感じです。威勢のいい人たちに国の未来を委ねていいのか疑問だし、外国との摩擦にもなっています。 理性を重んじる時代は過ぎてしまったのでしょうか? そんな風潮を批判する声もありますが、大きな声にはなりません。 筋の通った発言が、道理もへったくりもない人たちの声にかき消されてしまいそうです。 大衆は、「だって経済が良くなるんだからいいんじゃないの」みたいな雰囲気に流されています。 それって、ヒトラーを支持したドイツ国民と似てませんか?  今の日本は物資もサービスも飽和状態で、大幅な需要拡大など見込めず、産業は空洞化し、若年層は減少し、非正規雇用率は増え、国の借金は膨大になっているのです。なんたらミクスとやらで経済が良くなるはずなどないのです。70年代・80年代の人に出来たのだから我々にも出来るといった言葉に騙されてはいけません。背景がまるで違うのですから。

(伊藤一滴)