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「ご飯論法」 新聞より

最近の新聞(電子版)に載った記事を紹介します。

西日本新聞より引用

「ご飯論法」…

2018年05月31日 10時57分

 「ご飯論法」。法政大の上西充子教授がツイッターに投稿して話題になり、国会審議でも引用された。少し長いが秀逸な例えなので紹介する

▼Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」Q「何も食べなかったんですね?」A「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので…」

▼Q「では、何か食べたんですか?」A「お尋ねの趣旨が必ずしもわかりませんが、一般論で申し上げますと、朝食を摂(と)る、というのは健康のために大切であります」Q「いや、一般論を伺っているんじゃないんです。あなたが昨日、朝ごはんを食べたかどうかが、問題なんですよ」A「ですから…」

▼Q「じゃあ、聞き方を変えましょう。ご飯、白米ですね、それは食べましたか」A「そのように一つ一つのお尋ねにこたえていくことになりますと、私の食生活をすべて開示しなければならないことになりますので、それはさすがに、そこまでお答えすることは、大臣としての業務に支障をきたしますので」

▼こんなごまかしやすり替えが国会で繰り返されている。疑惑は解明されず、時間だけが空費-という指摘だ

▼森友、加計(かけ)問題を巡る政府答弁にうんざりしている人は「ある、ある」と大きくうなずこう。ご飯論法はもう満腹、お代わりはいらない。

=2018/05/31付 西日本新聞朝刊=

引用終了

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東京新聞(電子版)より引用

野党追及 論点すり替える首相答弁は… 「ご飯論法」
 
2018年5月29日 朝刊

 安倍晋三首相の答弁は論点すり替えの「ご飯論法」-。加計(かけ)学園理事長と首相の面会を記載した愛媛県の文書などを巡り、二十八日に開かれた衆参予算委員会の集中審議。野党側は、インターネット上で注目されている「ご飯論法」を持ち出して追及したが、首相は従来の見解を繰り返した。識者は「政府は国民を愚弄(ぐろう)している」と批判している。 (佐藤圭、小林由比、望月衣塑子)

 首相が午前の参院予算委で、加計学園問題について「一点の曇りもない」と答弁すると、共産党の小池晃書記局長は「これが今話題のご飯論法ですよ。全くのすり替えだ」と断じた。

 「ご飯論法」とは何か。「朝ご飯を食べましたか」と質問された場合、パンを食べていても、あたかも「ご飯(白米)」について問われたかのように論点をずらし、「食べていない」と強弁する論法だ。労働問題に詳しい法政大の上西充子教授がツイッター上で紹介すると、「秀逸な表現」などと一気に拡散した。

 愛媛県が国会に提出した新たな文書には、首相が二〇一五年二月二十五日に加計孝太郎理事長と面会した際に「新しい獣医大学の考えはいいね」とコメントしたと書かれていた。小池氏は「首相と理事長との面談が架空では説明がつかないことが多すぎる」と指摘した。しかし、首相は、そうした官邸の水面下の動きには触れず、政府の国家戦略特区ワーキンググループ(WG)の八田達夫座長が「決定のプロセスには一点の曇りもない」と主張していることを引用した。「ご飯論法」に当てはめれば、朝ご飯の話題中に、昼ご飯の話をするようなものだ。

 上西氏が「典型的なご飯論法」とみるのが、午後の衆院予算委での立憲民主党の長妻昭政調会長とのやりとりだ。獣医学部新設を目指す「利害関係者」の加計理事長が首相や秘書官と食事をしたり、食事代を支払うことなどは問題ではないかとただすと、首相は余裕めかして「別に食事を私がごちそうしてもらいたいから戦略特区で特別にやる、焼き肉をごちそうしてもらいたいからそんなことするって考えられないですよ」と反論した。

 上西氏は「ご飯論法が注目されたことで、国会質疑の何がおかしいのかということを伝えることができたと思う。モリカケ問題ばかりやっている、といった批判があるが、卑怯(ひきょう)なのはこうした答弁で国会や国民を愚弄している政府ではないか」と話した。

引用終了

(一滴)

森友4000枚文書黒塗り剥がすと、

報道によると、
財務省が23日にインターネット上に公開した、約4000枚の森友学園との交渉記録や改ざん前の決裁文書には相当の黒塗り箇所があり、しかも、パソコンを使えば簡単に黒塗りを復元し、もとの文書が読める状態だった、とのことです。3時間後に削除されたとのことですが、もう、報道各社をはじめ多数の人がネットから入手したあとでした。

週刊朝日のホームページに「森友4000枚文書黒塗り剥がすと、稲田元防衛相の夫や二階幹事長の名前 財務省痛恨のミス」「日本の頭脳である財務省官僚が、またもや大失態をしでかした」とありますが、私は、うっかりミスじゃなくて、わざとじゃないの?と思いました。

安倍晋三氏や彼の仲間たちのやり方に我慢の限界を越えた財務省職員が相当数いて、わざとやったんじゃないかと想像します。特に読んでもらいたい箇所を、あえて黒塗りにし、簡単に復元できるようにして公開したんじゃないのかと。

勘ぐり過ぎでしょうか。

(一滴)

#ご飯論法

私は毎日新聞で知ったのですが、「ご飯論法」という言葉が広まっています。

もとになったのは法政大学教授の上西充子氏のツイッターです。

引用開始

Mitsuko_Uenishi  @mu0283 

Q「朝ごはんは食べなかったんですか?」
A「ご飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)」
Q「何も食べなかったんですね?」
A「何も、と聞かれましても、どこまでを食事の範囲に入れるかは、必ずしも明確ではありませんので・・」

そんなやりとり。加藤大臣は。

12:58 - 2018年5月6日

引用終了

これは加藤大臣に限りません。以前から、安倍晋三氏とその仲間たち、安倍政権をかばう官僚たちに共通する話のすり替え、言い逃れの詭弁です。

紙屋研究所の紙屋高雪氏は、これを「ご飯論法」と呼んで紹介したのだそうです。
たちまち広まりました。

ぜひ、#ご飯論法 をご覧ください。

安倍氏とその仲間たちが、聞かれたことに正面から答えず、話をすり替えて別な話にしてしまうのは以前から続いてきたことですが、それを「朝ごはん」と「ご飯(米飯)」の話のすり替えに例えてわかりやすく書いた上西氏も、「ご飯論法」と命名した紙屋氏も、実にみごとです。

(一滴)

「首相礼讃2」 偉大な首相はさらに語る

偉大な首相はさらに大いに語りました。

(「偉大な首相」は架空の人物です。また、以下の話はすべて私が創作したフィクションであり、実在の人物、国、政府、政党などとは一切関係ありません。)

皆さん、政治家にとって最も大切なのは実行力です。結果です。野党がどんなに理想を語っても、理想だけでは絵に描いた餅であり、実行力と結果がなければお話になりません。

過去20年の我が国の政治と経済を考えてください。国民の目からは、私の内閣が最も安定しており、最も経済的な成果をあげているように見えています。これだけの、見せかけの結果を出せる人が他にいましたか。これまでの、また、今の野党にいますか。与党にだって、私と同等かそれ以上の人がいますか。私の代わりはいないのです。

安定しているように見える理由はいくつかありますが、大きな理由の一つは赤字国債の乱発とバラマキ政策です。長期的な未来のことを考えずに目先の利益だけを求め、今だけ、金だけを第一とすれば国民はついてきます。長期的な未来のことを考える国民など、ほとんどいませんから。

それに、どうすれば国民にうけるのか、どうすれば支持されるのか、広告代理店とよく話し合っているのです。相当のお金も使っていますが、それに見合います。イメージ戦略ですよ。世の中はイメージで動いていますから、イメージづくりをすれば、実行力がある、成果をあげているという話になってゆくのです。国民なんて、その程度です。
こんな技を使う私の代わりはいないのですから、私はいつまでも高い支持率です。一時的に支持率が下がっても、そのうちⅤ字回復です。国民は、よく考えていないし、みな生活に追われ、忙しくて、忘れっぽいのです。
嘘も千回言えば本当の話になると言いますが、カラスは白いと言い続ければ、カラスは白いことになります。この閣議決定は憲法に違反しない、この法律も憲法に違反しないと言い続ければそうなるのです。都合の悪い文書はなかったことにする。都合の悪い面会もなかったことにする。そうすれば、なかったことになるのです。嘘も千回ですよ。そのうちみんな忘れます。
多くの国民は目先のことしか考えてませんから、私がどんなに嘘をつきまくってもみんな忘れて支持率は回復します。三選、四選、五選どころか、終身制も夢ではありません。

政治の世界に裏工作があるのは当然のことです。それにいちいち目くじらを立てて国会審議を停滞させてしまうのは、国にとってマイナスです。野党はまともな対案も示さず、建設的な意見を言わず、ただ批判するばかりじゃありませんか。国会審議が停滞し、国の重大な損失ですよ。野党には、国政を担う能力などないくせに、邪魔ばかりするのは困りますね。

野党や学者やマスコミの中に、民主主義の危機だとか、立憲主義を守れとか言って国民をあおる人がおりますが、彼らは本当に民主的なのでしょうか。単にゆがんだ考えに支配されているだけではないのですか。私はこれまでの国政選挙のすべてで勝利しています。これが論より証拠、我が内閣は民主的に選ばれたのです。ヒトラーが民主的に選ばれたのと同じです。真に民主主義に立つのは我々です。私に逆らう人は民主主義に逆らっています。

また、私が官僚らを忖度(そんたく)させていると非難する人がいますが、もし忖度がなければどうなりますか。かつての、悪しき官僚支配が復活するだけでしょう。そうなれば、官僚たちは、政治家を軽んじ、官僚支配でこの国を牛耳ることでしょう。そうならないよう、私が人事を握り、官僚らに目を光らせているのです。私の息のかかった人でなければ省庁のトップになれません。私に逆らえば干されます。官僚が首相の意向を忖度するのは当然です。私は国益のためにそうしているのです。それで何が悪いのですか。

警察も検察も、トップは私が抑えていますから、私や私に近い人には手を出せませんよ。行政は私の支配下にありますし、司法も私が抑えています。だから私に不利な判断はできません。もしすれば、その人を更迭した上で、上でひっくり返しますけどね。
マスコミの中には、まだ私に逆らう勢力もあるので、だんだん締め付けを厳しくしようと思っています。

役所や報道機関だけではなく、国民の間にも空気を読む風潮、忖度が広がっていますから、私の支持率はいつまでも高いのです。逆らえば自分が不利になるとわかっているので、みんな逆らいません。特に空気を読むのが得意な若い世代から、私は高い支持を受けています。それでよいのです。

私は「新しい判断」ができる人間です。わかりやすく言えば、かつて断言したことを、いとも簡単にひっくり返すことができるのです。政治家の、責任ある言葉とは何でしょうか。それは私のこれまでの発言のように、一貫性もなく、偽りだらけの、その場限りの軽い言葉を言うのです。かつて強く断言したことをあとから簡単にひっくり返すことを新しい判断と言い、責任ある言葉と言うのです。国民は深く考えませんから、そうした言葉を連発する私についてきます。
そもそも、今の時代、この国全体に一貫性などないし、官民あげて偽りに満ちているではありませんか。私がそうしたと言うより、そういう時代だから私が選ばれ、高い支持率を誇っているのです。
戦前の我が国が、偽りに満ちた美しい国であったように、今、また美しい国に戻りつつあります。私がそれを加速させます。

公文書が改竄されていると問題視する声がありますが、先ほど申し上げた通り、政治の世界に裏工作はつきものです。すべての事実を事実として残すことが国益とは限りません。「真理」というのは事実かどうかではなく、国益になることを「真理」と言うのです。私は、不適切な文書を「真理」になるように変えさせているだけです。

えっ、文書の「真理」化は国益のためではなくて、自分に近い人に便宜をはかった証拠をもみ消すためではないかですって? まあ、仮にそうだとしても、私が失脚すれば国家的損失ですよ。代わりがいないのですからね。そうならないようにするのが国益です。そのうちにですね、真理省をつくりたいと思っているところです。

警察や検察の上層部は私に逆らえませんから、公文書改竄の件では一人の逮捕者も出ないし、一人も起訴されませんよ。それに、副総理がどんなに暴言を吐きまくろうが迷走しようが絶対にやめさせません。たとえ万引きで捕まったってやめさせません。私自身も、逮捕されたってやめません。そもそも私を逮捕するのは不可能に近いですけれど。まあ、左遷どころか辞職覚悟でやるんですね。

ナチスドイツやジョージ・ウォーエルを思わせるですって? そりゃあそうです。『我が闘争』と『1984年』が私の政治の教科書ですから。それで何かいけないのですか?

お気づきかと思いますが、他に私が参考にしている国は、スターリンのソビエト、中国や北朝鮮などです。軍事を重んじて人権を軽んじる国、強い権力が君臨し、秩序が保たれている国が私の理想です。
そのためにも、憲法改正が必要です。

我が党の憲法改正草案をお読みになればわかる通り、戦力の保持(不保持ではありませんよ)、国民主権の見直し、基本的人権の制限、この3つが理想的な憲法改正の柱です。
しかしですね、そんなことを大っぴらに言ったら憲法改正を支持してもらえなくなりますから、まずはソフトな改正からやるのです。広告代理店とよく打ち合わせた上で、我々の本音がばれないようにソフトに改正していくのです。
憲法改正に向けて、もうテレビのCM枠も確保してあります。お金をかけてガンガンCMを流せば国民はついてきます。洗剤のCMをガンガン流せば売れるのと同じです。国民なんて、しょせんその程度ですから。

それとですね、私のことを歴史修正主義者だと言って非難する人がおります。海外のメディアからもそう言われることがあります。それについては、まず、言葉の定義をはっきりさせる必要があります。歴史修正主義という言葉はいくつかの意味で使われますが、「客観的な歴史学の成果によって確定した事実を全体として無視し,自分のイデオロギーで過去の出来事を都合良く解釈したり,誇張や捏造された〈事実〉を歴史として主張する立場を批判する際に用いられる概念」(平凡社/百科事典マイペディア)としておきましょう。
逆に聞きます。歴史修正主義で、何が悪いのでしょうか。
考えてみてください。そもそも国益に反することを歴史として教えることがよいことなのでしょうか。国公立の小、中、高、大学はもちろん、私立の学校も、反国家分子の養成所にしてはなりません。国家の未来を担う人材を養成するため、国益にかなう歴史を教えるべきなのです。それが事実かどうかは問題ではありません。教科書も「真理」化し、我が国の一員として、誇りを持てる歴史教育をすべきなのです。史実性を重んじて客観的なことばかりを歴史として叙述するのは国益に反します。反国家的な歴史教科書を出す出版社やそうした教科書を採択する学校にはさまざまな形で圧力をかけて、封じ込めてやりましょう。
やがて真理省が出来たら、教科書検定は真理省に担当させましょう。

以前から申し上げているとおり、私の気持ちはいささかも揺らいでおりません。
何度も繰り返しますが、まず憲法を改正しましょう。そうやって、あるべき国の理想を定めましょう。かつて、ナチスドイツがスポーツや禁煙を推奨し、不純分子を排除して、健康で美しい国を目ざしたように、私たちも我が国から不純をなくし、みんなで健康な美しい国を目ざしてゆこうではありませんか。

(割れるような拍手喝采)

このように偉大な首相は大いに語りました。(繰り返しますが、実在の人物、国、政府、政党などとは一切関係ありません。)

(伊藤一滴)

政治と教育の劣化

何を今さらという感じもするのですが、仮定してみます。
「安倍晋三氏が早くから加計学園に便宜をはかってきた」
「安倍昭恵氏が早くから森友学園に便宜をはかってきた」

「憶測で言うな」と言われそうですが、上記の仮定ですべて説明がつくのです。
公文書の隠蔽や改竄も、大臣や官僚の苦しい答弁も、安倍内閣の主張と愛媛県の文書との食い違いも、その他もろもろ、みな説明がつきます。

逆の仮定をしてみます。
「安倍晋三氏は加計学園に何も便宜をはかっていない」
「安倍昭恵氏は森友学園に何も便宜をはかっていない」

この仮定で、どう説明するのか、説明が難しいことが多すぎます。というより、ほとんど説明がつかないことが多すぎます。

「憶測」ではなく、合理的に考えれば答えの出る話です。

日大アメフト部の反則攻撃のニュースを聞きながら、日大当局の見解の歯切れの悪さは、安倍政権と似ていると思いました。
「監督の指示で反則攻撃をした」と考えればすべて説明がつくのに。

政治も教育も隠蔽体質ですか。ずいぶん劣化してます。

(一滴)

幼い頃に出会った絵本

テレビの「ゲゲゲの鬼太郎」のすねこすりの回を見ながら、幼稚園~小学校低学年の頃に出会った絵本のことをいくつか思い出しました。先生に読んでもらった本も、母に読んでもらった本も、自分で読んだ本もあります。

今も、特に印象に残っているのは、

浜田廣介『泣いた赤鬼』
あまんきみこ『おにたのぼうし』
新美南吉『ごんぎつね』
中川正文『ごろはちだいみょうじん』 
アンデルセン『人魚姫』
同『マッチ売りの少女』
ワイルド『幸福の王子』(『幸福な王子』とも訳される)
「難破船」(=「難破船の少年」=「遭難」、エドモンド・デ・アミーチス『クオレ』の「今月の話」の最終回として所収 かつて紙芝居もありました)

などなど。

もっと、いろいろ読んでもらったし、自分でも読みましたが、こうして並べてみると、どうもハッピーエンドはあまり印象に残りません。去っていく話、死を遂げる話の方が、考えさせられ、心に刻まれ、後に残るようです。
上に挙げた本は、どれも悲しく、心に残るのですが、「希望も救いもない不幸な話」ではありません。

(一滴)

いじめやパワハラは、現代社会の反映でしょうが・・・・(「ゲゲゲの鬼太郎」第7話「幽霊電車」)

13日(日)の朝も、また、娘と一緒にテレビの「ゲゲゲの鬼太郎」を見ました(※1)。

第7話は、社員をいじめまくる極端なパワハラ社長が、パワハラで自殺した社員たちの怨念で電車にはねられて死に、地獄行きの幽霊電車に乗る話ですが・・・・。

怖いです。水木さんの原作よりも怖い。

鬼太郎のアニメ化は6期目になりましたが、第1期のモノクロ版は怖かった。幼かった私はぞっとしました。あんまり凄くて当時の子どもたちが怖がり過ぎたのか、スポンサーから嫌がられたのか知りませんが、その後、特に80年代あたりから、アニメの鬼太郎が鉄腕アトムのような正義の味方になってしまい、不気味さが薄まっていました。

第6期は、初期のおどろおどろしい鬼太郎が、作品の質をさらに向上させて現代に帰って来たような感じです。小さい子が見たら怖がるだろうなあ。大人でも怖い。

いじめやパワハラは、現代社会の反映でしょうが、いじめに加担していると思われる女子高生には、まだ、救いのチャンスがあるとして、死んでも自分の過ちに気づかずに地獄に向かうパワハラ社長に救いがないのが気になりました。もっとも、仏教が描く地獄は、キリスト教の地獄とは違い、キリスト教(旧教)で言う煉獄に当たるという指摘もありますから(※2)、あのパワハラ社長も「仏教的地獄」の中で自分の過ちを認め、赦される可能性があるのかもしれませんが。

※1:オープニングの歌が流れる中、すねこすりらしき生き物が神社の境内を横切るんで、ああ、すねこすり、生きていたんだと思ってちょっと安心。https://www.youtube.com/watch?v=lOCq2OG2y5cでも見られます。

※2:例えば京大教授だった山田晶先生の『アウグスティヌス講話』(新地書房)など(のち、講談社学術文庫所収)。

前回の「ジネント山里記」を読んだ娘から、「「娘の鳴き声」はないでしょう。私、猫でも鳥でもないんだから」と指摘されました。すみません。変換ミスです。「泣き声」に直しました。

(伊藤一滴)

シロがかわいそう(「ゲゲゲの鬼太郎」第6話)

5月6日(日)の朝、台所でコーヒーを飲んでいたら、突然、茶の間から娘(中1)の泣き声が聞こえたので、兄妹げんかでもしたのかと思って急いで行ってみると、娘は一人でテレビの前にうずくまり声を上げて泣いています。
「どうした? どこか痛いの?」と聞いたら、
「かわいそう、シロがかわいそう。シロは、なんにも悪くないのに」と涙声で言うのです。娘は、テレビアニメの「ゲゲゲの鬼太郎」を見て泣いていたのでした。

録画してあったので、私も後から見ました。考えさせられる内容で、たしかに「シロがかわいそう」でした。

フジテレビ系で放送された「ゲゲゲの鬼太郎」第6話「厄運のすねこすり」です。(内容は、「ゲゲゲの鬼太郎 すねこすり」で検索できます。)

妖怪「すねこすり」は、ぱっと見た感じは子犬のようですが、しぐさは飼い猫そっくりの、かわいらしい妖怪です。何の悪意もありません。人に接し、人から気力を吸い取って生きているのですが、その自覚もないのです。
山村に一人で暮らすおばあさんが、シロと名づけてかわいがっています。やんちゃな猫のようなしぐさが、とてもかわいいのです。シロもおばあさんが大好きみたいです。でも、おばあさんは体調が悪くなり、だんだんそれが悪化しているようなのです。
鬼太郎と目玉おやじから指摘され、シロは、自分が人間の気力を吸っている妖怪だと悟ります。このままではおばあさんが弱って死んでしまうと気づき、シロは去ってゆきます。
山に向かうシロを、体調の悪いおばあさんが追ってゆきます。途中で現れた熊に、シロは妖怪の姿で立ち向かい、傷つきながらもおばあさんを助けます。その姿を見ておばあさんは言うのです。「シロだね」と。
大好きなおばあさんの前で、シロは、悪い妖怪を演じます。気力を吸うためにおばあさんをだましたのだと嘘を言います。追ってきたおばあさんの息子に傘で叩かれ、「うー、やられた」とひっくり返って山に逃げていきます。息子が悪い妖怪を追い払ってくれたということにするために。
熊と戦ったときの傷口から力が流れ出しているシロが、雨の山道をとぼとぼ歩きながら、おばあさんと楽しく過ごした日々を思い出す場面は、見ていてせつなくなりました。
最後に、山から風が吹いてきて、おばあさんは、「シロ、ありがとう」と言うのですけれど、あの風は傷ついたシロの死を意味しているのかと思えて、私も泣きたくなりました。

浜田廣介の『泣いた赤鬼』やアンデルセンの『人魚姫』を思い出しました。青鬼は何も悪くないのに、悪い鬼を演じて去ってゆきます。人魚姫は理解されぬまま水の泡になって消えてゆきます。
異世界の者たちとこの世の人は交流できないのか、仲良くはなれないのか・・・・。
異形の者は、異形の者として生きるしかないのか。救いはないのか・・・・。どんなに人間と仲良くしたいと思って努力しても、許されず、報われず、持って生まれた定めを変えることはできないのか。やるせない。

悪者のふりをして去って行ったシロがかわいそう。これは、娘が声を上げて泣くのもわかります。私も泣きたくなったのですから。

「ゲゲゲの鬼太郎」はこれまで何度もアニメ化されました。人間と妖怪は仲良くすべきだというテーマのときもありました。でも今回のアニメ版は、心に重く響きます。今後、名作として語られるかもしれません。

(伊藤一滴)